昨日、横山に盆礼に行ってきました。
8月15日が「終戦日」 私もその時、生まれて3カ月でした。
満州にいた私達家族も、ロシアの攻撃を受けてチリチリバラバラ。
生まれたばかりの私は、爆音で一瞬で左の耳を、聞こえなくしてしまいました。
だから、小学校の入学通知は、ろうあ学校からでした。
親の一心の願いで、第三小学校に入れてもらいました。
だから今も、相手の口を見て話を聞きます。
その、聞こえない方の耳が、中耳炎の失敗で神経切られたのは、運よかった。
横山に生まれた大井さんは、22才で兵隊に徴収されて、満州で終戦を迎えました。
日本は負けてしまった。大井さんは、目の前で殺されたり、地獄を見てきたと言う。
大井さんも捕虜になって、シベリアで1年半も無償で、木を切らされたそうです。
笑みを浮かべて、語ってくれました。
今、90才になって、いかに生きたか。
人生、決して平たんな道ばかりでは、なかったと思います。
晩年の顔は、ごまかしがききません。人生、年輪が刻まれています。
今は、三世代に囲まれて、平凡の中に、幸せをつかんでいる。これが最高!
「何があっても負けない!」心の張りが健康を作っているのだと思います。
90才には見えない顔のつや、今も土をいじり、俳句をつくっている。
無名であっても、いかに人のために尽くしてきたか、今の幸せは、このあかしだと思います。
8月15日が「終戦日」 私もその時、生まれて3カ月でした。
満州にいた私達家族も、ロシアの攻撃を受けてチリチリバラバラ。
生まれたばかりの私は、爆音で一瞬で左の耳を、聞こえなくしてしまいました。
だから、小学校の入学通知は、ろうあ学校からでした。
親の一心の願いで、第三小学校に入れてもらいました。
だから今も、相手の口を見て話を聞きます。
その、聞こえない方の耳が、中耳炎の失敗で神経切られたのは、運よかった。
横山に生まれた大井さんは、22才で兵隊に徴収されて、満州で終戦を迎えました。
日本は負けてしまった。大井さんは、目の前で殺されたり、地獄を見てきたと言う。
大井さんも捕虜になって、シベリアで1年半も無償で、木を切らされたそうです。
笑みを浮かべて、語ってくれました。
今、90才になって、いかに生きたか。
人生、決して平たんな道ばかりでは、なかったと思います。
晩年の顔は、ごまかしがききません。人生、年輪が刻まれています。
今は、三世代に囲まれて、平凡の中に、幸せをつかんでいる。これが最高!
「何があっても負けない!」心の張りが健康を作っているのだと思います。
90才には見えない顔のつや、今も土をいじり、俳句をつくっている。
無名であっても、いかに人のために尽くしてきたか、今の幸せは、このあかしだと思います。