夢ふくらませて昭和50年に千山閣を創業はしたものの、7年目にして「狂牛病」が全国で騒がれ、多くの焼肉は輸入肉に変えました。
焼肉屋がバタバタ倒産していくのに、ダンナは、苦しくても、どん底になっても、輸入肉を使わず、和牛を通しました。
お客様が来てくれなくて苦しかった時もありました。
その苦しかったときにアルバイトで働いてくれたのが、右の「加藤」さんでした。
今は東京板橋で「朱雀門」という名前でお店を出しています。東京でも有名なお店になっています。
千山閣が苦しいとき、辛いときに育った息子が、2年前から社長になりました。
「いいか、オレの原点の店をつぶしたら承知しないぞ!」と、激励してくれます。
二人が息子の慕っている師匠です。偶然に来てくれて、初顔合わせでした。
左のイツキ通信の「阿部」会長さんからは、未熟さゆえに落胆している弱気な時も、奮い立たせて激励してくれます。
社長(息子)には、4人もの師匠がいます。鶴岡のうどん市の「工藤」さんと、千葉の手羽矢の「中島」さんと、幸せです。
どんなときにも負けるわけにはいかない。負ければ全員の負け、勝てば全員の勝ちで、戦っています。
「うまくいかなければいかないほど、心を固めなおして、なんどでも戦っています。」
師匠に励まされて、今日も戦っています。