背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

わが永遠の芦川いづみ

2005年09月21日 23時20分45秒 | 日本映画
 清純派女優とはまず純愛の対象でなければならない。清らかで純粋、少女のような可憐さが必須条件で、妙な色気は禁物。今の言葉で言えば、オーラはあっても、フェロモンの出ていない女優。「オナペット」(もう死語か?)つまり擬似セックスの相手として扱われてはならない。だから、男の前で裸になるなど、もってのほか。許されるのは、せいぜい軽いキスまで。とりわけスターと呼ばれる清純派女優は、大多数の男にとって憧れの対象である。明るく知的で希望にあふれ、男が将来を託せる理想の女性像に限りなく近い存在でなければならない。現代の映画・テレビ界には、いわゆるロリータ女優はいても、清純派と呼べる女優はなかなか見当たらない。清純派スターは不在だ。
 私の個人的な好みで言えば、理想の清純派女優は、あの芦川いづみである。50年代後半から60年代にかけて活躍した日活の女優で、吉永小百合にスターの地位を奪われ、藤竜也と結婚後いさぎよく引退してしまった。が、彼女の映画は今見ても輝きを失っていない。石坂洋二郎原作の「陽の当たる坂道」と「若い川の流れ」は、石原裕次郎、北原三枝との共演だが、映画の出来ばえもすばらしい。私はこの二本の映画を五回以上見ているが、監督の田坂具隆を巨匠と認めているからでもある。芦川いづみは、どちらの映画も準主役で出演しているが、清純にして可憐。明るく知的で、この女性と結婚できたらどんなに幸せだろうかと憧れを抱かせてくれる。「若い川の流れ」は、その名の通り、明るく爽やかな青春映画だ。彼女は裕次郎の勤める会社の専務令嬢役。お見合い相手の裕次郎と同僚のOL三枝との恋愛ドラマの中で、彼女はしっかり者でちょっと理屈っぽい(当時の)現代女性を、生き生きと品良く演じている。テニスをする前に裕次郎が裸になって着替えるところを観察するシーン、純白のテニスウェアを着たまま彼と語り合うシーンは、何度見ても、芦川いづみの可愛らしさに吸い込まれてしまう。こんな日本人女優は他にいない。彼女は、清純派女優についての私の定義に最も適った理想のタイプといって間違いない。この確信は死ぬまで変わらないだろう。
 *最近「あいつと私」(中平康監督、裕次郎、芦川いづみ、吉永小百合が出演)のDVDが発売された。「陽の当たる坂道」はビデオ化されているが、「若い川の流れ」はビデオ化もされておらず、残念至極。是非DVDを発売してほしい。
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