昭和4年から5年にかけて平凡社から発行された「映画スター全集」(全10巻)という菊判(150cm×220cm)の写真集がある。一冊に男女2名ずつの日本人の映画スターを取り上げ、出演作のスチール写真やブロマイドを載せ、簡単なコメントを加えたものだが、巻頭の数ページにそれぞれが俳優になる前に撮ったプライベート写真があり、また巻末の数ページに各スターに関する寸評、経歴、出演作リストがあって、なかなか面白く、見たり読んだりして楽しめる本である。編集者は、前々回ここで紹介した近藤経一で、おそらく文章のほとんどは彼が書いたものだと思う。私が所持しているのは2巻、3巻、4巻、7巻で、たとえば4巻は、田中絹代、河部五郎、入江たか子、井上正夫の4人の特集。
映画スター全集
実は、昨日、この「映画スター全集」の7巻の片岡千恵蔵のところを覗いていたら、巻末の経歴(本書では評伝)にこんなことが書いてあった。
少年の頃から片岡仁左衛門の門に這入ってその主宰する片岡少年劇に加はり、まづ仕出しから始めて、真一文字に芸道に精進して、大正十二年、明治座で中車と千代之助の口上で名題に昇進したのです。仁左衛門に可愛がられた千恵蔵は、その後、片岡少年劇の座頭として、立派な、小供らしくない舞台を見せて、好劇家から、将来を期待されて居たものでしたが、役者らしくないと言ふ彼への讃辞は、仁左衛門と共に謳はれたものでした。
映画界への最初の門出は、小笠原プロダクション創立当時、本名の植木と言ふ名で『三色すみれ』の主役をしたのが初めてで、丁度震災直後のことでありました。
おっと、小笠原プロが出てくるではないか! あれっ、「震災直後」と書いてあるぞ! そうか、『三色すみれ』は、震災直後に撮られたんだ!
片岡千恵蔵(「映画スター全集 7」の巻頭写真より)
まあ、こんな感じで、新事実が分ってくるわけです。
私のブログをちゃんと読んでいる人がいるのかどうか知りませんが、関東大震災前後のそんな昔のことをほじくってどうするんだ、観られもしない昔の映画やもう忘れ去られた映画人や映画俳優のことを調べてなにが面白いんだ、とお思いになる方がいらっしゃるかもしれません。確かにそう言えばそうですが、判然としないことをいろいろ調べて突き止めるのは結構面白いもんで、暇つぶしにはちょうどいい。犯人を捜索し、行動を突き止め、人間関係を調べ上げる刑事か探偵みたいな気持ちになるとでも言いましょうか。好奇心から探究心が生まれ、いろいろ勉強にもなるし、他人がどう思おうと、本人の私は好きでやっているわけです。
そんなわけで、入江たか子から東坊城恭長へ行き、小笠原プロに寄り道して、ここで泥沼にズブズブはまってしまったが、いずれまた元の道へ帰るつもりでいる。
先に引用した片岡千恵蔵の経歴で、仁左衛門というのは十一代目片岡仁左衛門(1858~1934)である。現在の十五代目仁左衛門の実父・十三代目仁左衛門(1903~1994)の父(養父)、つまり祖父である。十二代目仁左衛門(1882~1946)は、戦後間もなく住み込みの門人に一家もろとも惨殺され、十四代目は死後追贈された仁左衛門(生前は片岡我童)のこと。私の世代や私より上の世代(昭和十年代生まれ)にとっては、仁左衛門というと十三代目で、今の仁左衛門はどうしても片岡孝夫というイメージが抜け切れない。十三代目片岡仁左衛門と片岡千恵蔵は同じ1903年(明治36年)生まれで、ともに片岡少年劇で芸を競い合った関係である。
今さっき、今度は「日本映画全集 男優編」の片岡千恵蔵の項(滝沢一・記)を読んでみたら、なんだ、ちゃんと書いてあるではないか!
しかし舞台での彼はおおむね大部屋の悲哀をなめ、それをもたらした歌舞伎界の門閥制度に強い不満をもつと同時に将来に不安を感じ感じ悩んでいた。
23年9月の大震災で東京の劇場の大半が焼失して遊んでいたころ、懇意にしていた本荘子爵の紹介で小笠原プロの『三色すみれ』に映画初出演。
はじめっから、これを読めば良かった!
でも、この一節に名前が上った「本荘子爵」という人物は、いったい何者なのだろう???
映画スター全集
実は、昨日、この「映画スター全集」の7巻の片岡千恵蔵のところを覗いていたら、巻末の経歴(本書では評伝)にこんなことが書いてあった。
少年の頃から片岡仁左衛門の門に這入ってその主宰する片岡少年劇に加はり、まづ仕出しから始めて、真一文字に芸道に精進して、大正十二年、明治座で中車と千代之助の口上で名題に昇進したのです。仁左衛門に可愛がられた千恵蔵は、その後、片岡少年劇の座頭として、立派な、小供らしくない舞台を見せて、好劇家から、将来を期待されて居たものでしたが、役者らしくないと言ふ彼への讃辞は、仁左衛門と共に謳はれたものでした。
映画界への最初の門出は、小笠原プロダクション創立当時、本名の植木と言ふ名で『三色すみれ』の主役をしたのが初めてで、丁度震災直後のことでありました。
おっと、小笠原プロが出てくるではないか! あれっ、「震災直後」と書いてあるぞ! そうか、『三色すみれ』は、震災直後に撮られたんだ!
片岡千恵蔵(「映画スター全集 7」の巻頭写真より)
まあ、こんな感じで、新事実が分ってくるわけです。
私のブログをちゃんと読んでいる人がいるのかどうか知りませんが、関東大震災前後のそんな昔のことをほじくってどうするんだ、観られもしない昔の映画やもう忘れ去られた映画人や映画俳優のことを調べてなにが面白いんだ、とお思いになる方がいらっしゃるかもしれません。確かにそう言えばそうですが、判然としないことをいろいろ調べて突き止めるのは結構面白いもんで、暇つぶしにはちょうどいい。犯人を捜索し、行動を突き止め、人間関係を調べ上げる刑事か探偵みたいな気持ちになるとでも言いましょうか。好奇心から探究心が生まれ、いろいろ勉強にもなるし、他人がどう思おうと、本人の私は好きでやっているわけです。
そんなわけで、入江たか子から東坊城恭長へ行き、小笠原プロに寄り道して、ここで泥沼にズブズブはまってしまったが、いずれまた元の道へ帰るつもりでいる。
先に引用した片岡千恵蔵の経歴で、仁左衛門というのは十一代目片岡仁左衛門(1858~1934)である。現在の十五代目仁左衛門の実父・十三代目仁左衛門(1903~1994)の父(養父)、つまり祖父である。十二代目仁左衛門(1882~1946)は、戦後間もなく住み込みの門人に一家もろとも惨殺され、十四代目は死後追贈された仁左衛門(生前は片岡我童)のこと。私の世代や私より上の世代(昭和十年代生まれ)にとっては、仁左衛門というと十三代目で、今の仁左衛門はどうしても片岡孝夫というイメージが抜け切れない。十三代目片岡仁左衛門と片岡千恵蔵は同じ1903年(明治36年)生まれで、ともに片岡少年劇で芸を競い合った関係である。
今さっき、今度は「日本映画全集 男優編」の片岡千恵蔵の項(滝沢一・記)を読んでみたら、なんだ、ちゃんと書いてあるではないか!
しかし舞台での彼はおおむね大部屋の悲哀をなめ、それをもたらした歌舞伎界の門閥制度に強い不満をもつと同時に将来に不安を感じ感じ悩んでいた。
23年9月の大震災で東京の劇場の大半が焼失して遊んでいたころ、懇意にしていた本荘子爵の紹介で小笠原プロの『三色すみれ』に映画初出演。
はじめっから、これを読めば良かった!
でも、この一節に名前が上った「本荘子爵」という人物は、いったい何者なのだろう???
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます