sessanta始まりの朝

独り言、
子育て終わった二人暮らしの夫婦
人生、残り半分?如何に生きましょうか

夏に期待して

2017-05-31 16:05:15 | 日記


天気予報が
曇りのち雨と予報していたが

降らないかも?

予想して
花に水をやって
仕事に来た。

予想通り

まだ
雨は降っていない。

どんより
ただ
蒸し暑いだけ。


植えたばかりの
ゴーヤや
朝顔や夜顔が気にかかるので

せっせと
水をあげている。


夏に

期待して、、



朝に
夜に

ひとつかふたつ

咲いた花を見つけては
なんだか、
嬉しく、楽しかった、夏。


楽しみです。
夏‼︎





昨日の夕方の空

2017-05-30 20:45:30 | 日記


昨日の夕方の空

お月様が星みたいに見える
太陽が沈んで行きながら
明るさを空の下に残して


一日の終わりは
それぞれの思いと共に。



やすらぎか
けんたいか
へこんでるか


空を見ると不思議と癒されていき

へこんだ心も
いつのまにか回復している


でも



数年前
心が
ズタズタに傷つき
立ち直れるのか
自分でもわからない時



空なんて
見やしなかった。


自然が心を癒していくのにも
心に
余裕が戻ってきてからだった。


青空も
夕日も
まっくらな空も

同じようにしか見えなかった。


やっと
色が戻って来た。



人との距離の取り方

2017-05-28 21:59:48 | 日記


楽しい会食

夫がする
スポーツで仲良くなった
男の子
息子みたいな年齢

今度
結婚することが決まり
嬉しいことだ。

時々
会食するが
久しぶりに
一緒に
ご飯に行った


気さくで
人なつっこい
いい子で
私とも気負わず話してくれる。

だから
私もこの男の子と
会食するのは
楽しい。


人なつっこいけど
礼儀もあって
ちゃんと大人を
立てる


こんな時
育ちの良さって
大切だな

思う。



人との距離の取り方が
素晴らしい


こちらが
ついつい楽しさに
甘えているかも?


思うほどです。

年寄りあるある

2017-05-28 10:42:11 | 日記


いい天気だな。
大物じゅうたん洗濯終わり
片付けが
すいすい進む


主婦の味方のおてんとう様


昨日
里の母に
急かされ
やっと
ゴーヤの苗を買いに行き
ゴーヤのカーテンの
下準備

ネットを張って来た。



母の気持ちは分かっている

母はゴーヤのカーテンに
ここ4、5年凝っている
小さなプランターで
見事に葉を這わせ
ご褒美の実もよく成る

去年は
長年のお隣が売りに出されて
新しく越して来た
若い子育て真っ最中のご夫婦が
気の良い人たちで
奥さんも
おばあちゃん、と
気さくに声をかけてくれるし
小さな男の子も
かわいく
声をかけてくれる。

そこへ持ってきて
玄関に
作っているゴーヤのカーテンを
毎日、観察してくれて
小さな実の時から
あそこにできているよ。


かわいく
声をかけてくれて
母の励みになっていた。

ひとり暮らしの母が
食べきれないゴーヤを
お隣さんが
喜んで
もらってくれる
そんな
温かいやりとりが

あった。


さあ!
今年も


張り切っているのは

常に
そばにいない子どもとしては

ありがたいかぎりです。




年寄りのあるある


自分のやりたい事
気になる事

あると

周りが見えなくなるのです。



今年
私は
忙しくて
週末に時間が取れなくて


母からすれば
ゴーヤの苗つけが遅かったらしい



先週末
なかなか、ゴーヤの準備を
切り出さない私に
業をにやして
お願いされたが
都合がつかなかった。


それで、
昨日


ネットの準備をする横で
母が言う


あなたの手を借りないと
できない事なのに
申し訳ないわね。

なんて
もっともらしく言うので


憎まれ口を
たたく
娘の私



今ね
思いがかなって
できあがって来ているから
言えるのよね。

母は
すまなさそうに
笑っていたが。




私には
飲み込んだ言葉がある。

準備するまで
どうなった?どうなった?

こちらの都合はお構いなしだし
ホームセンターに着いた途端
ゴーヤの苗、まだあるかしら?
大丈夫かしら?
なんて
こっちが傷つく言葉を言ったことなど
忘れちゃってるんだから。


年寄りあるある

周りの事は見えなくなり
おもいやりは
自分の心配ごとが解決した後になる。



いずれ、
私もそうなる。



霧の朝

2017-05-26 06:13:38 | 日記


霧が出ています。

いつもの道が
違って見えます。

手さぐりで
歩いていくみたいな
どこに向かうのか
道まかせ
そこにある道を
行ってみる



そんな事はしたことなかった
けど



霧の道を
走ったくらいで
感傷的に
なる
年でもないよ



要は
暇だからです。
次から次へと
しなくてはならないことがあって
時間が足りなかった
若い日は
ゆっくり、が
あこがれだったのにね。