のほほん書斎(日高茂和)

こーもり傘のーしゅーぜーん



オヤジの法事で里帰りした時に思い出したことである。

ガキのころ、

「こーもり傘のーしゅーぜーん」

と、独特の調子で売り声を出しながら、傘の修理をしてまわるオジサンがいた。

落語の「鋳掛屋」を彷彿とさせる、まことに物を大切に使った時代のゆかしき職業の方だったが、今では絶滅しているだろう。

この思い出は、実に不思議な興味に満ちている。


その不思議な興味を列挙すると・・・・・


不思議その①

あのおじさんは、この仕事だけで生活できたのか?

仮に、なにがしかの修理をして、手間賃と材料代で500円程度もらったとして、一日いくらの収入になったのだろうか???


不思議その②

傘を修理して使う文化がかつてあったのだ!

現代では傘を修理して使う人は、きわめてまれである。

そもそも、修理をしてくれる業者が少ないというか、このへんでは心当たりがない。



不思議その③

江戸を感じる!

物を大切にし、見事な循環型社会を実現していたという江戸の町。

壊れたら修理する。

また、修理したものを平然と使う。

江戸を感じる!



不思議その④

江戸を感じる!その2

江戸の町の商売は、商品をかついで売り歩く行商が多かったという。

落語の「唐茄子屋」に演じられる物売りだけでなく、「鋳掛屋」のようなリペア・サービスや、按摩、髪結いなどの健康・衛生サービスなど、さまざまなジャンルで行商がさかんだったようだ。

・・・・・・

行商といえば、売り声。

業種々々で独特の売り声があったという。


「こーもり傘のーしゅーぜーん」


記憶のなかで変化してしまっているのだろうが、その売り声が聞こえるようである。



コメント一覧

日高茂和
拝復 マッツー様
コメントおおきに!

やっぱり、間違いなく居ましたよね。

今から思えば、実に不思議な存在ですね。

・・・・・

明日「万葉」初体験予定です。

がんばって早起きします。

マッツー
江川街(西浜ん町)
家ん にきにも 来ていました。
「こーもり傘のーしゅーぜーん」
なかなか イントネーションが おもいだせませんが、確かに 今でも思い出します。

ジュウバン も不思議な存在でした。
日高 茂和
拝復 島の医者になって 様
コメントありがとうございます。

記憶のなかでは、あのおじさんは白い開襟シャツかワイシャツを着ていたのです。

確かに、いらしたと思います。

行商といえば、

「奥さーん! 魚はいらんかなー!」

と呼ばわるリヤカー行商の魚屋のおばさんのことも思い出しますね。
島の医者になって
修繕
「傘・こうもりがさの張替え~」となんとなく覚えているような気がします。
 記憶は、本物の記憶なのか、後からTVなどで聞いたからそれを自分の記憶と思ったのか、判らなくなっている時がありますね。
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