のほほん書斎(日高茂和)

ちょっと多すぎる。私には・・・

テレビで報道されるニュースには、朝、昼、晩お世話になってます。

おおきに。

ところがですな、
私には、ちょっと多すぎるんですよ。

あの時は参りました、というかウンザリしました。

あの時って?

芸能人の麻薬問題、やロス疑惑の渦中の人の報道。ちょっと多すぎるんです。私には。

海や山へ遊びに行った人の遭難事故。さほど知りたくないので、これらもかなり多すぎるんです。私には。

恐ろしい殺人事件。これもできれば知りたくないことなんです。

数ある「報道すべきこと」は、だれかが選びに選んで報道させているのでしょう。

でも、時おり思うのです。

何かをカモフラージュするために、人々が「エーッ」と見聞きしたときだけ思うようなことを選んでるのじゃないかと。

やはり、ちょっと多すぎる。私には・・・

事件や事故を、報道の名を借りた娯楽にしてるのではないかと、思ったりしてしまうのです。

コメント一覧

ひだかしげかず
拝復 gurico様
gurico様

コメントありがとうございます。

殺しや暴力にカタルシスを求めるようになっているのは、マスコミや、それを放置する大衆および体制の「飼いならし」だと思います。

家康は、戦争がきらいだから「厭離穢土・欣求浄土」の旗印をかかげたのでしょう。
江戸時代は、義による仇討ちは美徳でも、私利私欲やただの怨恨での殺人は厳罰で、人々も忌み嫌っていたでしょう。

トキの卵がカラスに食われたと、広告の費用で算出すれば恐るべき金額の値で報道し、牛は数十万頭ほふられ、レジャーレジャーと車を乗り回す人々が住む国。
何がいいか悪いかは言えないことですが、「私」は「私」を確固に保ち、選択したいと願い、行動しています。
gurico
共感です

こんばんは
しげかずHidakaさま

報道という名の娯楽
…すごい表現ですが、まさに!
アグリー ウィズ ユー です

わたくし、映画がすきで
ちょくちょく映画館へも行くのですが
今年、アバターを観てすごいな~よかったな~
と思ったのが、その10日後、
インビクタスを観たら、アバターなんて吹っ飛んでしまいました
というのは、インビクタスでは
誰ひとり死ななかったのです

映画やドラマで
誰かが死んだり殺されたりすることに
いかに慣れすぎて平気になっているかということに
気づいたのです

二時間サスペンスや刑事ドラマ、すきでした
いや、もちろん今でもすきです
だけど、毎回誰か殺されるんです
そのことと、現実としてニュースにあふれる
悲惨な事件や事故…娯楽作品と同じ感覚で
受け取るようになってしまっているのかもしれません

わたしにも多過ぎます
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