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だろうから記録しておこうと思う。
五島家家中八十余家のなかでも百石以下クラスが主に住まいした観音寺の門前の道は、直線の道で目測だが300メートルくらいある。
亡き父からの聞き伝えで、旧藩時代は馬場としても使われていたということで、「かんのひばば」と呼ばれていたという。
「観音寺馬場」の転訛であろう。
あまり人が言うのを聞かなかったので、藩士の間で使っていた「業界用語」だったのかもしれない。
300メートルほどと短いコースであるから、おそらく初心者の歩ませ乗りの練習コースであったろうと想像する。
今でも、市内の武家屋敷地区ほどではないが、観音寺の入り口の並びには、旧藩時代からの石垣が若干残っており、子供のころ毎日そのあたりで遊び、高校を出て家を出るまで毎日目にした景色だけに、いまでも帰省のおりにその名残を見るのはとてもなつかしく、嬉しい。
こうして子供のころを振り返ると、昭和の大火からかろうじて逃れた実家の付近には、まだ何軒も武家地の独特の石垣が残っており、その広い敷地の古びた家にお使いに行かされるのが不気味で怖かったことなどを思い出す。
しかし、今では、胸に温かみをもたらす、甘い記憶である。
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