先週の土曜、山谷で来週にカルカッタに行くボランティアに地球の歩き方を見ながら、いろいろと説明した。
そのインドの地球の歩き方を見ては、もう自分はそれだけでメロメロになっている。顔がほころんでくるというか、たれてくるというか、マザーのお墓の写真など見ているたら、胸も熱くなってくる。
瞬間的にそうなっていくのが、自分でも良く分かった。
いろいろと話しをした。
まるでカルカッタでオリエンテーションをしているように向こうで気を付けることを細かく話した。
インドの友達の結婚式に出るということで、それだったら、せっかくなのでカルカッタによってみたいということだった。
三日間の短い滞在であるが、行くと行かないのとではまったく違う。短い滞在の場合には長期とは違ったことなども気を付けなければいけない。
長期よりも短期の場合の方がほんとうに注意しなくてはならないことが多い。何が怒るか分からないのは、ここ日本でも同じではあるが、向こうのようにプロの窃盗が日本に比べて遥かに多い。ちょっとしてことをするにしても、傷付くこともほんとうに多く有り得てしまう。
騙されても最低限で納めるように。何か嫌なことがあれば、それだけに意識に縛られ、見えるものも見えなくなってしまうことを話した。
いつもこうしたことを話すときにカルカッタでもそうだった。どうか無事に楽しい時を過ごし帰って欲しい。それは一生の宝物になり得るものであることを知っているからだ。それは時にあたたかく自身を勇気付けるものにもなり得ることを知っているからだ。
反対にその感動が日本では得られずに自身を傷付けてしまう人もいることを言わなくてはならないが、自分は前者をいつも願っている。
話しながら、やはり、自分はCrazy for Mother, Crazy for Culcuttaということを感じていた。
あの街で自分は知らなかった自分に出会い、彼女に出会い、素晴らしい人たちに会い続けてきた。その感動が今もなお自分を動かし続けている。
日曜に岡さんが「どうして野田さんは続けられてこれたの?」そう聞いた。
いろいろな答えがそれには有り得るだろうが、自分はそれを生活のなかの第一にしてきた。仕事選びもそうしてきた。
意識できるのはそうした答えだけであって、答えとしては不十分であろう。その他には自分の意識外にあるものも、今こうして自分があることへと繋がっている。そして、その答えは変り続けていくかもしれない。
今夜はNHKの「その時歴史が動いた」のマザーを見よう。
また必ずメロメロになることだろう。胸を熱くすることだろう。