参っていた・・・。
辛いことがあって、何もする気が起きらなかった。
表情も心も固まったようになり、書くことも止めようとも考えた。
食欲もなくなり、起き上がることさえ億劫に思えてならない日々が続いた。
何をしても楽しみ、面白みを感じることが出来ず、油断していれば、しゃがみ込んでしまいそうだった。
元気もなければ、やる気もない。
ただ悲しみをじっと味わっていた。
悲しくて悲しくてしょうがなくなるまで、そのものを見続けた。
自分の愚かさや弱さ、醜さを見続けた。
誰かに慰めてほしいと思ったときには、マザーの祈りを祈り続けた。
そこで心を見詰めていた。
自分はあらゆる自己防衛して、何を誤魔化そうとするのか、一つひとつ、瞬間瞬間、じっと見詰めていた。
都合のいい考えの先には心の成長はない。
そこでは自己防衛をし続けているだけに過ぎないことが多い。
この苦しみがいつかより良いものへ成る糧になれるよう、その可能性へと導けるように、自己と向き合う。
辛くてしょうがないが、それを十分味わいきることしかない。
自分が自分から逃げてはいけない。
苦悩を大切に扱うことにより、強く喜びを見出せるだろう。
他人の小さな思いやりでさえ、愛溢れる行いとして受け容れるようになるだろう。
だから、いまを大切にする。
無理やりに自分を元気になどさせない。
無理は決して続かず、いつか必ずと言って良いほど、自己と周りのものを破壊してしまう。
自分は自分の苦しみと醜さをゆっくりと十分に分かってあげる必要がある。
ただそうしている。
祈りのなかに逃げることもせず、ありのままをありのままに内省しようと試みている。