山谷MCの炊き出しは昨年の今頃は長い休暇を取っていたので今年も炊き出しは休みだろうと考えたおじさんたちが多かったのか、一昨日の炊き出しはかなり少なく200人ちょっとのおじさんたちだった。
この日、先週の土曜日はいつもとは違ったところに首都高の工事のために並んでもらった。
その列の最後の方に久しぶりに来たあるおじさんに会った。
その彼も親兄弟とは絶縁状態にあり、その怒りをつじつまなど合わせようともせず、ひたすら無我夢中になって私に話してくれたことがあった。
彼はガンのために長い間入院していて喉もとには切開の傷跡があった。
彼は声があまり出ないと言うが、私が理解出来るに十分な発音のかすれた声で出していた。
初めあの喉もとから膿んだ悪臭を漂わしていたカニューレの彼だと私は勘違いをしていたが、すぐに違うと分かり、それでも退院して炊き出しに来れるようになったことを何度も喜んで見せた。
「良かったね!良かったね!」と何度も言う私に彼は照れ笑いで答え、「これからもよろしく頼みます」と言った。
しかし、ガンになったことが耐えられないのであろう、私の励ましに照れながら「この身体と変わってほしい」と言った。
私は「ダメだ」とだけ微笑んで返した。
そうだよな、と言う顔をまた照れ笑いのなかに浮かべた。
もう一人久しぶりに来た糖尿病のおじさんに会った。
彼は札幌出身の元ヤクザで背中には漫画が描いてあり、そのためいつも長袖を着ている。
それに多汗症なので毎年夏の時期はカレーを汗びしょびしょにかきながら食べるのであった。
「駄目だよ、ちゃんと来ないと。出席率が悪いね~。炊き出しに来ていないと死んだと思ってしまうからね~」と私は冗談で彼に言う。
「だってしょうがないじゃん、入院していたんだもん」
「そうか、入院していたか、身体は大事にしないと。でも、ちゃんと顔を見せに来てよ」
「うん、でもね、病気がさ・・・。オレと変わってくれる?」
「ダメ!」と喝を入れるように言うと御もっともですと言うような苦笑いを彼は見せた。
不思議に思った、一日に二人の病人から炊き出しの時、身体を「変わってほしい」と頼まれたことなど今までなかった。
彼らがそれを口にするほどに私に親近感を持ってくれたことであるのかも知れないが、しかし、それだけでもないようにも思える。
彼らは私のようになりたいと思っているのかもしれないと思えた、受ける側から与える側へと変わりたいと、そして、人生をやり直したいと考えなかったことはないだろう、せめて健康な体をと何度も願っただろう。
だが、どうしようもなかったこの現実を受け容れる以外、どうすることもできないことに嘆くしかなかったかもしれない。
ただ彼らは自分を捨てることはしなかった、それは捨てるに捨てられなかっただけかもしれないが捨てなかったのである。
彼らは苦しみを背負い、何かの代償を払いながらも健気に生きてきたのである。
彼らを思えば思うほど、私にはまだ何かもっと答えるべきものがあるのではないかと考えざるを得なかった。