カルカッタより愛を込めて・・・。

今月のアピア40のライブは3月21日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

「変わってくれる?」

2014-08-11 13:12:40 | Weblog

 山谷MCの炊き出しは昨年の今頃は長い休暇を取っていたので今年も炊き出しは休みだろうと考えたおじさんたちが多かったのか、一昨日の炊き出しはかなり少なく200人ちょっとのおじさんたちだった。

 この日、先週の土曜日はいつもとは違ったところに首都高の工事のために並んでもらった。

 その列の最後の方に久しぶりに来たあるおじさんに会った。

 その彼も親兄弟とは絶縁状態にあり、その怒りをつじつまなど合わせようともせず、ひたすら無我夢中になって私に話してくれたことがあった。

 彼はガンのために長い間入院していて喉もとには切開の傷跡があった。

 彼は声があまり出ないと言うが、私が理解出来るに十分な発音のかすれた声で出していた。

 初めあの喉もとから膿んだ悪臭を漂わしていたカニューレの彼だと私は勘違いをしていたが、すぐに違うと分かり、それでも退院して炊き出しに来れるようになったことを何度も喜んで見せた。

 「良かったね!良かったね!」と何度も言う私に彼は照れ笑いで答え、「これからもよろしく頼みます」と言った。

 しかし、ガンになったことが耐えられないのであろう、私の励ましに照れながら「この身体と変わってほしい」と言った。

 私は「ダメだ」とだけ微笑んで返した。

 そうだよな、と言う顔をまた照れ笑いのなかに浮かべた。

 もう一人久しぶりに来た糖尿病のおじさんに会った。

 彼は札幌出身の元ヤクザで背中には漫画が描いてあり、そのためいつも長袖を着ている。

 それに多汗症なので毎年夏の時期はカレーを汗びしょびしょにかきながら食べるのであった。

 「駄目だよ、ちゃんと来ないと。出席率が悪いね~。炊き出しに来ていないと死んだと思ってしまうからね~」と私は冗談で彼に言う。

 「だってしょうがないじゃん、入院していたんだもん」

 「そうか、入院していたか、身体は大事にしないと。でも、ちゃんと顔を見せに来てよ」

 「うん、でもね、病気がさ・・・。オレと変わってくれる?」

 「ダメ!」と喝を入れるように言うと御もっともですと言うような苦笑いを彼は見せた。

 不思議に思った、一日に二人の病人から炊き出しの時、身体を「変わってほしい」と頼まれたことなど今までなかった。

 彼らがそれを口にするほどに私に親近感を持ってくれたことであるのかも知れないが、しかし、それだけでもないようにも思える。

 彼らは私のようになりたいと思っているのかもしれないと思えた、受ける側から与える側へと変わりたいと、そして、人生をやり直したいと考えなかったことはないだろう、せめて健康な体をと何度も願っただろう。

 だが、どうしようもなかったこの現実を受け容れる以外、どうすることもできないことに嘆くしかなかったかもしれない。

 ただ彼らは自分を捨てることはしなかった、それは捨てるに捨てられなかっただけかもしれないが捨てなかったのである。

 彼らは苦しみを背負い、何かの代償を払いながらも健気に生きてきたのである。

 彼らを思えば思うほど、私にはまだ何かもっと答えるべきものがあるのではないかと考えざるを得なかった。
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同じ道。その10。

2014-08-10 17:40:41 | Weblog

 バブルーの病室を出て、すでに身体はぼろぼろになるほど疲れていたが私にはどうしても気になる患者がいたのでマリアを連れて彼のもとに行った。

 前日のことである、朝いつもように挨拶に行くと、歳は50ぐらいだろう、腹部が異様に腫れた大柄な彼は私の顔をまじまじと見ると「昨日、ドクターからもう何も出来ないと言われた・・・」とその言葉を口にすると静かにむせび泣いた。

 私はただ涙に濡れる彼の顔をただ見つめた。

 今朝も彼のところに行くと、彼は何も話さず、私の顔をただじっと見ていた。 

 もう言葉が何の慰めにならぬことを私は瞬時に感じ、私も彼の顔、彼の瞳をじっと見て、瞳で会話をした。

 すると彼の瞳から大粒の涙がぽろぽろと落ち、頬を伝っていった。

 もう言葉ではどうにもならなかった、瞳を通して、心で、魂で、会話するしかなかった。

 その夜、だからどうしても彼に会っておきたかった。

 彼の窓のない病室の空気は不気味に重く、この部屋にこもって拭い切れない患者たちの嘆き苦しみがそこらじゅうにへばりつき、重苦しく薄暗くしているようだった。

 彼は頭の下に両手を合わせ置き、心に塊となった死の宣告に悲嘆にくれていた。

 私はそっと彼に近寄り、無言で彼の右手を取り、両手でしっかりと握り、彼の瞳を見続けた。

 数秒後、彼の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出してきた。

 私は瞳をそらさずにずっといた。

 心から吸い上げられ、瞳に映し出された私の言葉は「私はあなたの痛みをいま背負っている、あなたの痛みをこの手を通して感じている」と言う思いだった。

 しばらくして、私は思いを言葉にし、「私はあなたのために祈る。私はあなたを絶対に忘れない。いつもあなたのために祈る」と伝えた。

 彼と傍にいた彼の付き添いの男性は両手を合わせ、私に頭を下げた、私もそれに答え、その場を去った。

 その後、マリアは歩きながら言った、「私たちは何も出来ない」と。

 私は答えた、「私はシェアした」と。

 私は彼と彼の痛みをシェアした、それは無意味なこと、何も出来ない、何もしないことでは決してないが、18歳のマリアが何も出来ないと思うのも、それはしょうがないことである、彼女から見れば、そう見えたかもしれない。

 しかし、私は彼に触れた。

 私は彼の心、彼の命に触れたのである、それは紛れもない事実であろう。

 何時もどんな境遇でも何も出来ないのではない、それは死の宣告を受け悲嘆にくれた無力のように見える彼もそうであり、彼は私に命の愛の繋がりとそのかけがえのないの価値と意味を伝えたのである。

 そして、祈りは無意味ではない、祈りのなかにある思いは無価値無意味では絶対にない、祈りこそ、言葉を超えて、時に魂、時に神様を通して分かち合えることを可能するのだと私は真剣に純粋に感じてきたのである。

 私はマリアにも、それを知ってほしかった。
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黒柴バイク。

2014-08-08 12:33:10 | Weblog

 夜の散歩の終わり、自宅近くに来ると、黒柴をいた。

 その黒柴は見たことがあった。

 釣具屋さんの裏に住んでいる黒柴である、いつも庭に放し飼いにしていて、あんが前を通ると必死に追いかけて来る柴犬だった。

 夜にも一度会ったことがある、その時は行き成り吠えられ、あんも「ウゥー」と言ったことがあったのである。

 「あん、友達じゃない?」というのと、あんは興味を思い出したように持ったらしく、その黒柴の方にトコトコと向かった。

 向こうと言えば、その黒柴もあんに興味津々で飼い主が行こうとしているのに逆らって、真逆の後ろから来るあんの方を向いていた。

 この夜はその黒柴はあまり吠えず、あんのお尻を嗅いだりと友達の挨拶が出来た。

 「名前はなんて言うんですか?」と聞くと、「ちょっと可笑しいんのですが、バイクと言います」

 「そうですか、バイクかぁ、お前も可愛いなぁ~」とバイクの頭を撫でながら言ってみたが、ほとんど初対面の飼い主さんにはどうしてその名前を付けたのかと言う興味はあったが抑えしまい込んだ。

 バイクはまだ二歳男の子、やんちゃでまだ落ち着きがない、あんはもうすぐ五歳になるオネェさん、そのあんの容姿と落ち着きぶりを見て、「毛もキレイで大人しくてお利口さんね」とバイクの飼い主さんは言ってくれた。

 私の心をすでに飲み終えた缶チューハイの支えもいらず、ニンマリだった。

 あんはどう思っていたか分からない、たぶん「あの子、まだコドモね」とか、「あの子、ウルサイのよ」とかオネェさんぶって思っていたかも知れないが、私としてはあんに黒柴の年下の友達が出来たことが嬉しく思えるのであった。

 
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暑い。

2014-08-07 12:28:22 | Weblog

 毎日暑い、日照りのようだ。

 なすべなく、ぼぉーっとしているとあっという間に時間だけが流れていく。

 思考回路は滞り、どうにかこの暑さに適応しようとしているようだ。

 これを夏バテと呼ぶのだろう。

 私の体と脳は否応なしに省エネ状態になり、その間、どこかに何かを蓄えているのだろう。

 無理に元気を出す必要などない、必要な時、それを出せばいい。

 そうした体の声と脳の声の会話を私は聞いている。

 もちろん、セミの声も聞こえている。



 9月のアピア40のライブは9月17日{水曜日}になりました。良かったら来てください。
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ワルツ。

2014-08-05 12:58:40 | Weblog

 今朝は五時過ぎに起き、あんと散歩に出かけた。

 昨夜寝る前に手にした本は遠藤氏の「ファーストレディー上巻」だった。

 二時ぐらいまでページをめくってはいたが、切りのいいところで本を置くことが出来た。

 だから、今朝は気持ちよく、あんと散歩に出かけた。

 あんは珍しく朝早く階段を降りてくる私を見ると、「あれっ」とちょっと嬉しそうな顔をして、お腹をなでなでしてほしいアピールである、自分のお腹をちらちら見せていた、その仕草が可愛くて、私は早起きの三文の徳をいち早く手に入れた。

 私は「おはよう!あん!」と言って、すでになでなでを待っている仰向けのあんのお腹をなでてあげ、「あん、散歩に行くぞ!」と声をかけ、家を出た。

 昨夜より少し冷えた風が気持ちよく私たちを迎えた。

 あんはまず身体をぶるぶるして、散歩に出かけるスイッチを入れる。

 そして、少し前に歩いて行った私をとことこと追いかけてきた。

 朝陽は輝かしい光りを放ち、背の高い街路樹の顔を光らしていた。

 あんはそこいらじゅう、楽しそうにくんくんしている。

 あんがくんくんしている間、しばらく待ってあげてから、「あん、行くよ」と言うと、あんはとことこ歩き出す。

 風は惜しみなく心地よさを私たちに与え続けいた。

 三沢川に着くと、アカトンボのグループに会った。

 ふと「あぁ、アカトンボかぁ」とつぶやき、何か懐かしいような思いになる。

 天神山からセミの声がひっきりなしに聞こえてくる。

 日中のむせる暑さではない、目覚めたばかりの山はまだとても元気に見えた。

 私はそれをうれしく思い、じっと見とれた。

 シオカラトンボは一人でコンクリートの壁にとまっているが、孤独ではあるまいと思えた。

 なぜなら、太陽が祝福する光りで透明な羽を照らしていた。

 青空はとても青かった。

 またアカトンボのグループに会った。

 よーく、見ていると、アカトンボはワルツを踊っているようだった。

 
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楽天大将。

2014-08-04 12:59:33 | Weblog

 遠藤氏の「楽天大将」を読み終えた。これは「おバカさん」の系統に継ぐ、傑作だと思った。読み終えて清々しい思いになった。

 その登場人物・事柄は遠藤氏の小説に出てくるレギュラーとも言える、修道女、犯罪者、役者、飲み屋のママ、記者、自殺、産婦人科、中絶、イエス的存在、そして、狐狸庵的笑いに隠された真実などの総力戦であった。そして、この作品では遠藤氏が慕うドストエフスキーへのオマージュも活きている。

 遠藤氏がカトリック作家として、問わざるを得ない問いがふんだんに出てくる。そこには人間のどうすることも出来ぬ哀しみを痛切に描き出し、それと対象にイエス的存在、苦しむ者を絶対に見捨てない愛を必ず添えている。

 この世の中のすべてを信じることのできない罪人{金山}が、見えない神さまを無力であるかの如くある見えるもの{修道女の卵の志乃}を通して知っていく過程、また見えるものを通して、見えない神さまを知っていく過程とそこに生まれる救いにはカトリック作家として遠藤氏の願いと祈りがあったであろう。

 しかし、その中でも究極的な問題は志乃が金山の信用を得るために、金山に身体を許す決心する場面がある。それまで志乃は金山がずっと誰も信じることが出来ない哀しみを感じていた。彼女には苦しむ金山を到底見捨てることなど出来ない、彼を一人ぼっちには出来ないと、逃げることも可能であったが誘拐犯である金山についてきたのだった。しかし、金山は志乃には指一本触れず、志乃の寝ている内に殺人を犯すために静かに旅館を出ていくシーンがある。

 これはカトリックとしては究極的な問題であろう、しかし、私はこの問いに対して答えを控える。遠藤氏は小説の中でこの問いに対して、志乃の上司であるフランス人シスターロジェからこう言わせている。

 志乃は自分が金山に身体を許そうとしたことでシスターになる資格がないとシスターロジェに告解のようにして告白する。
 「純潔よりも大切なものは・・・、愛ですよ。志乃さん」
 「あなたはその愛を行ったのですから、なぜ、恥じることがあるでしょう。もし、基督がそこにいらっしゃいましたら、あなたに、同じことをすすめたかもしれません」
 「その青年にすべてを与えることを」

 遠藤氏はこう言わせたのだが、それでこの究極的な問題の答えにはなっていないと感じるものもいるでしょう。私はこの問いに対して答えを控えると書いたが、それとは別にキリスト教徒として何よりも大切なことは自らの行いに悔い哀しむものを、その人の痛みを背負い思いやり、そして、励ますことに大いなる意味があるのである。イエスの愛とはそういうものである。

 残念ながら金山は死んでしまうのだが、金谷は志乃に旅館を出た後に手紙を書いていた。その手紙をシスターロジェから受け取る。その手紙には。
 「みじかい間だったが、ひどく世話になった。あんたが言ったことは忘れはしない。しかし、どうにもならぬ。もうすぐ、すべてが終る。
 俺ははじめ、あんたを馬鹿にしていた。センチで甘い一人の女の子だと考えていた。俺についてくるのが、わずらわしかった。それなのに、あんたを追いかえせなかったのはなぜだろう。自分でもわからぬ。
 あんたは俺に色々なことを言ったが、俺はやはり、そうは思えない。あんたの言うような気にはなれない。
 しかし、こうしてあんたに手紙を書いている自分もふしぎだ。手紙を書く以上、俺はあんただけを信用していることになる。生まれてからはじめて信用する一人の他人をもったことになる。だがその時がくるのが、あまりに遅すぎた。もし来世というものがあるなら、あんたとまた会おう」

 過去と他人は変えられるものではないが、すべてを与えることで、もしかすれば相手を変えることも可能なのかもしれない。志乃の場合、彼女は彼女の夢、希望、生き方のすべてを金山に与えようとしたのである。しかし、私にはそこにはストックホルムシンドロームが働いたかもしれないとも思わずにはいられなかった。ちなみにこの作品は1968年の作品、ストックホルムシンドロームが事件があり、公になるのは1973年である。遠藤氏はそれとは別にこの小説を描いたのである。

 最後に志乃の空想の産物、遠藤氏のキリスト的存在にあたる「楽天大将」とは。
 「その人は・・・みんなに好かれて、みんなが好きで、みんなを信じて、みんなから信じられて、いつも楽しそうに笑って・・・みんなに幸せを与えようとして・・・
あたし、そんな人にいつか会えないかなァと、いつも思っていたのよ。名前もつけてあげたの。楽天王子{金山はそれを楽天大将と自嘲していたが・・・}って」

 
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祭りの後の。

2014-08-03 16:24:53 | Weblog

 「テツさん、ケツ汗が止まりませんよ!」

 「なに!?ケツ汗が止まらないって!もしかして、漏らしたんじゃないのか!」

 「ワタシ、女性ですよ!」

 「そっか、それで・・・。んじゃ、隣のシスターにもケツ汗かきますかって聞いてみたら?」

 「そんなこと、聞いたら、ワタシ、聞いた途端に走って逃げますよ!」

 真っ赤顔をして汗を顔一面にかき、目を細めて笑いながら、シャモジもまた勢いよく容器に入ったご飯にさして、それをパックにサオリちゃんは入れ続けた。

 私も二日酔いの身体から汗をダラダラと流し、同じようにご飯をパックの中に入れ続けた。

 ふと思えば、クーラーもない場所で汗を一杯かきながら、休みの日にこうして無償で働くことなど、やはり多くの人は望むことではないだろうと。

 そう思うと、カルカッタでは日本人のボランティアがたくさんがいたが、日本の山谷ではカルカッタと比べ、どうしても少ないのは仕方がないことのようにも思える。

 それにやはりマザーが言うように忙しすぎる日常を生きるしかない現状が何かを貧しくしていくのかも知れない。

 また逆を言えば、カルカッタで会った子がこうして山谷に来てくれることが私にはほんとうに嬉しいことである。

 約束をちゃんと守ってくれることが嬉しいのである。

 サオリちゃんとは、今回のカルカッタで一番話をした日本人のボランティアだと思う。

 私は東北出身の彼女の話すなまりを聞くといつもからかっていた。

 それは小学生の男の子が好きな女の子をからかうそれとまったく同じで、ついつい面白がってからかってしまうのだった。

 それを彼女に言っても、私の度が超えているのだろう、いっこうに信じてもらえず、私は笑いに逃げ走った。

 しかし、これはほんとうに申し訳ないことである、それに年甲斐もなく恥ずかしい次第だ。

 これに懲りず、また遊びに来てほしいと思うばかりである。

 楽しい時は何故だろう、いつもあっという間に過ぎてしまう。

 今は祭りの後のような寂しさをセミの声を聞きながら思うのであった。
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