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使徒 2:2-4
[2] 突然、天からものすごい音がしました。まるで、激しい風が吹きつけるような音です。それが、家全体にごうごうと響き渡ったのです。 [3] そして、めらめら燃える炎の舌のようなものが現れ、みなの頭上にとどまりました。 [4] するとどうでしょう。その場にいた人たちは、みな聖霊に満たされ、知りもしない外国語で話し始めたではありませんか。聖霊が、それだけの力を与えてくださったのです。
キリストが十字架にかかり、3日後に死から蘇り、弟子たちの前に現れ、天に帰った後、弟子たちに『聖霊』が注がれました。そして、様々な言語でキリストを伝え始めました。それまでイスラエル人にしか伝えられなかったキリストを、この『聖霊』のおかげで、他の国々にも伝える事ができるようになったのです。
日本にも沢山の教会やキリスト教関連の学校があります。それは、この『聖霊』を信じる外国のクリスチャン達が、『キリストを伝えたい』という強い信仰により、建てたものです。『聖霊』は言葉の壁を超えるのです。
ガラテヤ 3:28
もはや、ユダヤ人とギリシヤ人、奴隷と自由人、男と女という区別はありません。みな、キリスト・イエスにあって一つなのです。
国や人種、性別、社会的立場など、キリストの前では全く関係ありません。キリストは、その愛で全ての人を一つにまとめます。その為の重要な役割を『教会』が担っています。ペンテコステを機に、多くの人々がキリストを信じ、教会を作っていきました。違う文化や風習の人々を、パウロを始めキリストの弟子達が、キリストの愛の基、教え諭しまとめていきました。
1ペテロ 4:8
何よりも、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は、多くの欠けた点を補うからです。
残念ながら、教会に集う人々も罪人なので、寄ると触ると争いを起こします。この初代教会のように『別け隔てなく』『神の御前に平等に』とはなかなかいきませんが、 十字架の立つ所には必ずキリストがいます。教会は『キリストの体』です。教会にはキリストの『聖霊』が宿っています。キリストの愛は人間の愚かさなど、優に超えてきます。
そのキリストの愛の力を、皆さんも是非教会に足を運んで、体験して下さい。
キリストはあなたを愛しています。
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