gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

神の助言を信頼する

2024-04-10 20:55:15 | 日記
神の助言を信頼する

叱責を聞くのは決して容易なことではありませんが、謙虚に耳を傾けて応じれば祝福されます。

‭サムエル記下 19:1-7 新共同訳‬ [1] ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」 [2] 王がアブサロムを悼んで泣いているとの知らせがヨアブに届いた。 [3] その日兵士たちは、王が息子を思って悲しんでいることを知った。すべての兵士にとって、その日の勝利は喪に変わった。 [4] その日兵士たちは、戦場を脱走して来たことを恥じる兵士が忍び込むようにして、こっそりと町に入った。 [5] 王は顔を覆い、大声で叫んでいた。「わたしの息子アブサロム、アブサロム。わたしの息子、わたしの息子よ。」 [6] ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った。「王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。 [7] あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました。この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう。

ダビデは息子を失った深い悲しみの中にいたにもかかわらず、民をうまく導くために自分の個人的な損失を脇に置くようにというヨアブの叱責に耳を傾けました。40年間の統治の間、ダビデは繰り返し神の導きに従いました。彼にとって叱責を聞くのは容易だったでしょうか。もちろんそうではありませんでしたが、彼は自分一人では状況をあらゆる角度から見ることはできず、神の助言が必要であることを十分に理解していました。
私たちも信頼できる人から賢明な助言を求めるべきです。問題に近すぎるため、外部の知恵が必要になることもあります。また、人生の苦難に重圧されすぎて、どの方向に進むべきかはっきりしないこともあります。そして、何をしたらよいかまったくわからず、すでに私たちより先に苦難の道を歩んできた人の導きが必要な日もあります。
神の召命を果たすよう勇敢に促し、私たちが自分の役割を怠ることを許さない人々が私たちの人生に存在することは、何と素晴らしい賜物でしょう。今日、あなたはどんなもどかしい問題に直面していますか。状況をもう少し明確に理解するのを助けてくれる人は誰ですか。あなたを助けてくれる賢明な友人や指導者、そして彼らの助けを受け入れる謙虚な心を神に求めてください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿