『「倒木更新」とは、寿命や天災、伐採などによって倒れた古木を礎にして、新たな世代の木が育つこと』。「自然は必ず蘇る」ともいいます。枯れて倒れた木の栄養によって種が発芽し、若木が芽生え、何十年・何百年の時間を経て木は元の姿に戻ります。
草木が繁茂し山が豊かになることは、動物にとって餌が豊かになり環境が良くなること。時に自然災害は起こるにせよ、種の生息数は増してくる。山野が豊かになれば海も豊かになる。「海を豊かにするには、まず山を豊かにする」といいます。
加えて愚かな政治が戦争という人工災害?を起こす、若者の数は減る、稔り豊かな山野都市を破壊する。やがて平和になり静かな時が必ずやってくる、そして、時間を掛けて苦労して復興し元の姿に戻る。同じことを繰り返し繰り返してきた人間の歴史。ひとも動物も植物も、同じことを繰り返しながら今まで生き残って来た。
考えてみれば「人も動物」生活(餌)が豊かになれば、自然子供の数を増す、政府が担当大臣を任命しても歯止めにならない。生活が安定していればもう一人子供をとなる。今中国が人口減少傾向、一人っ子政策を三人までと方針転換、だが、一度豊かさを知った国民は子供の為に苦労したくない、そう簡単に人口増とはならないだろう、先進諸国と同じ。
・私も家内もいずれは死ぬ、これが自然の理で当たり前。少しは次代の人の栄養になるようなことを残して来たかと反省する。この歳になって過去を振り返って、どれほどのものを残せた分からない。
後藤新平 は「金を残して死ぬのは下だ。 事業を残して死ぬのは中だ、 人を残して死ぬのが上だ」と言った。わたしはひとりだけでも「人」を残しただろうか。
「倒木更新」という言葉について考えると、あれこれ頭に浮かんでくる、ぼんやりしていたら、家内の声、<琉球朝顔が咲いてますよ!> みたら咲いていた、一昨年より6日早く去年は2日に咲いた、今年も去年と同じ2日に咲いた、自然の不思議さ。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」