「ひと」が長い時間を生たという事は、その間に経験し身に着けた知恵と知識を積み上げているとも言える、その人の過去の経験は他人には得難いもの。アフリカのどこかの国に「老人の死は図書館が無くなったと同じ」という諺が有るそうだ。落語の世界では八さん熊さん、分らないことがあると大家のご隠居さんに聞きに行く。何でも知ってるご隠居さん。
今の時代は「長老」「ご隠居さん」が居なくても、分からない事はキイワードをPCに打ち込めば、何か答えが返って来る。正解か不正解かは何とも言えない、自分で判断する。私のパソコン・タブレットは「百科事典」。近頃『ブログを書くのはj時代遅れ?「生成AI」に書かせて収入を得る?』の文字を見る、これがデジタル時代。
・尊敬する先輩諸氏をはじめ、知識人、作家、政治家、評論家の中にはもっと生きていていて欲しかった人は多い。残念なことに毎朝の新聞の訃報欄で、テレビ報道などで知るのが辛い。「憎まれっ子世に憚る」どうでもいいやと思うような人もいないでもない。そういうお前もどうでもいいやの中の一人、それは充分承知の助分かってる。
話題転換、、教育の話へ、、
先輩の教え、自分の経験で得たものを、Pホテル学校で一教科を担当する機会を与えられ教科書めいたものも創った。その経験は退職後もホテル専門学校で教える機会を得られた。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」というが、自分の次の世代に生きる「人を残す教育」の時間を得たのは幸いでした。
思うのは、長い仕事の時間を通し、教育の機会を通し、次の世代の若者と一緒に過ごせた時間が懐かしく、皆さんの成長に少しでも役立つ機会が有ったことにいまは感謝以外の言葉はない。
・また 話題転換、、
オオタニサンの昨日の大活躍には暑さが吹っ飛んだ、野球をしらない家内も最近はオオタニサンを話題にする。ニッポンジンとして嬉しい、これが愛国心というのだろうか。