入り江の小船

ヒマがあったら書く日記。

四海さんの例祭

2014年07月19日 09時57分09秒 | Weblog


唐櫃岡下条に鎮座する四海さん、いわれの碑文がある。







口伝によると南北朝時代に小豆島の四海で戦に敗れ、
豊島のこの地に逃れてきて死んだ落ち武者を祀っているのだそうだ。
そんな四海さんも今日は年に一度の例祭、崇敬者は下条の人達だけ。





おばちゃんたちによる般若心経の読経が始まった。心経は5回くり返す(7回の場合もあるらしい) 
と、ここで突然デジカメの調子がおかしくなり、写メに頼ることになった。
信じられんことに家に帰って作動させたら何もなかった。



読経のあとには、お神酒やスイカが振る舞われた。
このように豊島は小さなお祭りがたくさん残っている。



豊島は拝み屋がいたり、神掛かりしやすい人がいたりと不思議な島だ。
権現さんの時もある年齢から急に信心深くなったというおっちゃんがいたり、
爾霊山のときは家に帰ってから急に偏頭痛を起こしたこともあった。
今日のデジカメの件も新たに加わった。

爾霊山の例祭

2014年06月09日 18時29分12秒 | Weblog


唐櫃浜の王子ヶ浜に爾霊山(じれいさん)と呼ばれている山がある。
言い伝えによると唐櫃浜の東の海岸に屋島の戦いに敗れた平家の落人が流れ着いたそうだ。
この地で息絶えた者もいたのか、山頂には平家の墓という石壇のようなものがある。




この地の周辺に矢立と呼ばれているところがあり、
他では見られない矢竹と呼ばれる変わった竹が生えているそうだ。
平家の落人の霊の仕業とでもいうのか。
また、ひとりで山へ上がろうとすると何処からか鈴の音が聞こえてくるという。





そんな恐怖が渦巻く爾霊山の真下では心臓音のアーカイブで
今日も何も知らずに観光客が記念に自分の心臓音を録音していく。
後日送られてくるCDに奇妙な音が混じっていないことを祈る。





と、恐怖を抱いて爾霊山の例祭に参加した。曰く付きのこの地の例祭は、
さぞかし厳かな雰囲気で執り行われるのだろうと思っていたが、
例祭の開始時刻になったら氏子たちが酒盛りを始めだし、
当番のおばちゃんだけが終わり際で心経を唱えるという楽しい例祭だったのである。

さて、豊島村誌では源平合戦の話ではなく、南北朝時代に細川勢と佐々木信胤がこの辺りで戦い、
バラバラにあった墓を十輪寺の住職が一箇所にまとめて山頂に移し、爾霊山と名付けたとある。
文献と口伝で話が乖離するところがあるのが民俗学の面白いところだ。

旅順の203高地で乃木大将が詠んだ漢詩の爾霊山(にれいさん)の話に通じるところがある。
豊島の徴兵区は善通寺の第11師団(師団長に乃木大将がいたことがある)
村誌の編纂が大正初期だから何らかの関連性があるかも。

豊島家浦・中村条・井奥条の村祈祷

2014年05月07日 21時40分38秒 | Weblog


家浦中村条の村祈祷の様子を見に行った。





しかし、これは早い時間に拝むらしく、
集会所に到着したときには既に終了していた上に
雨天につき、本来は笹に行者さんの掛け軸を吊って
法螺貝を吹いてを回るというものが中止になっていた。
次回は9月9日。





こちらは同日の家浦井奥条の山の神様の様子。
中村条の村祈祷が終わって約1時間後に執り行われた。




かつて、井奥条は氏子が多かったこともあったようだ。




山の神の祝詞や般若心経や六根清浄などのお経を一同で唱えるが、
あまり厳粛な空気ではなく、途中で笑ったりしていて堅苦しくなかった。
次回は9月9日。

芸術的な演出

2014年02月09日 14時35分12秒 | Weblog
仕掛けに不具合が生じたことばかりが報道されている
ソチ五輪の開会式だが、舞台演出は幻想的じゃったな。
さすがバレエの帝国、ピョートル大帝の場面かっこよすぎ、
投影されとるプロジェクションマッピングで酔いそうになったわ。
ルボフちゃん妖精じゃわ、宙吊りになっても
足首が少しもフラフラしとらんからすげえわ。
スラブ系は劣化が早いことに定評のあるけど
そんな俗説を打ち砕く女の子に成長してほしい。
ソ連時代の場面の社会主義リアリズムの無機質な演出が神!!
それにしても公式キャラはいただけんな、
何でチェブラーシカみてえに造れんかったんなら?

執筆活動

2014年01月24日 19時33分43秒 | Weblog
豊島の古老から聞いた話を資料としてまとめあげ、
同人誌程度の体裁の本として出版しようと考えている。

これまで調査したことを形にしようとするのには、
民俗調査にあたり地域との信頼関係を築くのは
資料作りより重要で、古老に時間を割いてもらったのに
趣味の範囲に留め、集めた資料を研究+公開せず、
蔵にしまっておくのはお遊びのようにしか映らんだろうし、
これからの研究者にとってもためにはならんだろうし、
大正生まれや戦前生まれの話者から話を聞いた
最後の民俗資料になると考えているからだ。

一昨年に昔話を一番良く知っている古老が他界し、
文書で1話も書き残していなかったので
記録を残そうといった気持ちに拍車をかけた。

資料は古いほど昔のことが詳しく載っており、
今では検証することが難しいものばかりで、
生活様式などの民俗資料は30年以上前に出た資料が
圧倒的に優れている。最新資料が必ずしも良いとは限らない。

私が出版しようとしているものは
昔話(主に地名の由来に偏る)だ。
これまでの民俗資料に載っていない話を
2~3話ほど掲載する予定。

古老も「わしらはPCとかようやらんから」と言って協力的だ。