2021年7月24日に椿殉難七十七回忌ということで、
呉の長迫公園・海軍墓地に建立されている椿慰霊碑まで元乗組員の方と一緒にお参りした。
海軍側と豊島側とが共にお参りするのは後にも先にも初めてだと思う。
そもそも豊島の古い人は椿を知っていても椿慰霊碑があることを知らない。
2020年の11月から電話と文通を重ねてきたが、実際にお会いするのは初。
91歳とかなりのお歳だが、待ち合わせ場所の長迫公園から20kmほどの距離の
自宅から自ら車を運転してきたから驚いた。
このお参りの1週間前に、豊島で椿乗組員たちに対し、
救護と支援などを実際に行ったという方を4名くらい見つけることができたので、
証言をしてもらい、それらを元乗組員に聞いてもらったらすごく驚いていた。
いまや戦友会もなく、お参りしているのがこの元乗組員だけとなっているが慰霊碑に来ると、
若い人が興味を持ってくれてお参りやお世話をしてくれることがあり、とても励まされるそうだ。
この前の年も慰霊碑に来ると、呉にある海上保安大の学生数名がお参りしていたそうだ。
2021年11月の豊島公民館まつりに元乗組員と豊島の椿乗組員の救護と支援に当った方の証言を
「駆逐艦椿76年目の証言」と題して画用紙にまとめたものを展示物として出展した。
これらも公民館まつりが終われば撤去となるが、大学生がゼミとかで豊島に来て
公民館に資料を求めることがあるので、大学生向けに資料を手元に残してほしいと言われた。
もっとも大学生よりも豊島の小中学生向けに平和学習として活用してほしかったので
今年の3月に簡易な小冊子をつくった。
小冊子をつくったことによって一区切りついたように思うが、まだまだ調べることが多い。
今後も当事者の証言を集めるとともに、戦死者を荼毘に付したという豊島の山を特定しないといけない。
ネットで何でも情報が手に入る時代なのに、ネットに無い大元の情報を集めるのには体力がいるな。
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