入り江の小船

ヒマがあったら書く日記。

“夏休みに見に行こう“

2007年08月15日 22時03分54秒 | Weblog

「あなたも船旅に出る前に是非ご覧になってはいかがでしょうか?」
と、美の巨人たちのナレーターの小林薫の語りが聞こえてきそうだ。

海洋船舶画家の上田毅八郎画伯の原画展を見るために静岡へ。
1/700・ウォーターラインシリーズを作る人なら画伯の
絵を見たことがないという人はいないほど多くの箱絵を
手掛けていていらっしゃる。プラモの箱と画集なら作品を
見たことがあるが、原画は見たことがなく、いつか原画を
見てみたいと思っていたが、1週間前に原画展の存在を知り、
急ではあったが盆休みだったということで見に行くことができた。

会場のフロントの長いすにベレーを被っている老人がおり
地元のテレビ局から取材を受けているので間違いなく
画伯と確認できたが、取材クルーがたむろして近寄るのが
難しかったので、受付をしていたデルタクラブ艦船研究会の
副会長の伊藤正明氏の助けを借りて話をすることができた。
原画展では画伯が不在だったり、そうでなくても話をすることも
サインなどいただくことも難しいだろうと考えていたが、
想定していたこととは逆に、色紙などのちゃんとしたものを
持ち合わせていなく、静岡浅間神社の袋でサインを求めたら
気さくにサインに応じてくれた。さらに絵葉書を10枚以上くださり、
偶然にも私が一番好きな艦の重巡洋艦摩耶の絵葉書があったので
それにもサインをしていただいた。


画伯のプロフィールがタミヤのサイトから抜粋。


1920年8月静岡県に生まれる。
1941年招集され浜松の陸軍高射砲連隊に入営。
船舶砲兵として同年3月のジャワ島攻略を皮切りに、アリューシャン作戦、
ビルマ作戦などで兵員輸送作戦に従事。
ニューギニア、ラングーン、ラバウルなどで乗船が撃沈。
1944年11月に輸送船金華丸で米軍機が投下した500キロ爆弾により、
右肘の関節を失い撃沈されるまで、
計26隻の船舶に乗船、そのうち6隻が撃沈。
奇跡の生還の後、輸送列車から山一つ隔ててヒロシマのキノコ雲を見る。
復員後、利き腕の自由を失いつつも左手で絵筆をとり創作活動を再開。
これまでに完成させた絵画は5,000点以上に及ぶ。
現在までウォーターラインシリーズボックスアートの大半を手がける。


画伯は水木しげる画伯と同じく、傷痍軍人で手が不自由なのである。
最初は上手く描けなかったが並ならぬ努力により月10枚という
絵を描いているのである。