惨たらしい死を遂げてしまった人々の御霊について、投げかけられた質問に対し、わたしは十分満足できる返答をしなかった。きくさんにとっては、壕の中に御霊がいても、想いが残っていても、どちらも寂しいのである。わたしが、限られた時間の中で、簡潔に説明をしてしまえば、きくさんの長きに亘って行って来られた慰霊の意義を、傷つけてしまうだろう。戦争によって深く傷ついたこころのまま、ご高齢になり、未だこころの内で戦争体験から芽生えた葛藤を抱えている方を目の前にして、安易に返答することは止めた。
ただ、一言だけ、付け加えた。
「わたしは戦争を体験していませんから、戦争を体験された方を尊重しています。その上で、わたしは、亡くなった方の供養が一番だと思っています。」
この一言がこころにどう響くかは、分からないが、生きている者が優先される事象の中で、死者の想いに耳を傾け、それに気付いた事柄については、生きている時間の中に少しでもその気付きを反映させたい。そう想い、その一言を告げた。
きくさんの表情は真剣な様だった。わたしの左右に座る、仲間も寡黙だった。テーブルの周りの空気感が、少し重たくなっていく。ふいにきくさんは気持ちを切り替えたのか、平和学習についてお話を始めて下さった。沖縄戦では、学徒が9つあり、ひめゆり部隊は有名だけど、他の部隊は皆知らない。この事を知ってもらうために、文献をまとめ発表する機会を得たようだ。沖縄にある平和祈念公園の施設で、今年の8月那覇市の後援を受け、3日間平和学習の講演をされるそうだ。
この話から、きくさんの表情がみるみるうちに明るくなっていった。
きくさんは、沖縄戦で生き残った一人として、大勢の人に知っていただく事を今の生きがいとしている。話すことによって周知させ、そして知らなかった人々に知らしめる。結果、話に触れた人々が各々で考察する。戦争とは?平和とは?。この理不尽で不条理の事象を紐解くことによって、若い世代に同じ過ちを体感して欲しくないという一途さが如実に表れていた。
「○○さん、8月9日からやるので、是非来て下さいね。」
沖縄戦で、本土の若き日本兵達の看護に当たった生き証人である、白梅同窓会の会長である中山きくさん。彼女がどのような思いで、この事象に巻き込まれ、生きながらえたか、そして、このご高齢になっても、なぜ語り続けるのか、多くの人が直接聞き、感じ、戦争に対する思いや意見の是々非々を超えて、15歳の少女が体験した過酷さを肌で知ってほしい。生死を分けたものが何か、ここにも触れて欲しいと思っている。
熱く話して下さるきくさんを目の前に、わたしは自身の夢を膨らませていった。戦争体験者と戦争を知らない者の考えの相違は、勿論あるが、慰霊にある根幹の部分は、等しく結ばれるだろうと信じたい。大切なことは、この部分だからだ。
わたしは、6月23日に行われる合同慰霊祭について、話かけた。今回の慰霊の旅をお知らせした際、今年も合同慰霊祭に参加させて頂きたいとお願いしていたので、これについて直接お尋ねしたのである。
きくさんは、わたしが参加する事を承諾するか否かの返事を超越して、代表焼香の話をし始めた。参加への承諾は当然のように、わたしの右に座っていた仲間に向って、こう切り出したのである。
「今回の代表焼香は、○○さん、お願いできる??」
「いやぁぁぁああ~~~~、ボクはカメラの撮影がありますので、滅相もないですよ~~~~、あははは;;;」
「あら、そうなの? じゃぁ~、どなたかいらっしゃらないかしら?」
「もう一人□□県の○○さんが参加されますので、その方はどうでしょう?」
「あ~~~~、□□県の、じゃぁ、○○さんにお願いしましょう。」
わたしは、何の断りもなく、次回の慰霊祭に参加表明をした仲間の名前をきくさんに告げたが、あっさり承認されてしまった。この事は、帰路の道中に仲間に知らせておかねばならない。彼の顔を思い浮かべながら、びっくりするだろうけど、おそらく、すんなり受け入れてくれるだろう、そう感受していた。
結局、この喫茶店で1時間近く話し、わたしたちは17時半前にここを後にした。精算はきくさんがやはり先に済まされたようで、わたしたちはお接待を受け、一礼をし御礼を告げた。ドアを開けば、台風接近の暴雨である。
急いで駐車場内を走り、きくさんに渡す手土産を車から出した。喫茶店から出てきたきくさんを呼び、わたしたちの車両の方に来てもらった。ここで、わたしと仲間がそれぞれに、手渡ししていく。今回、わたしは沖縄ではあまり食すことが少ないお味噌を進呈した。地元の美味しいお味噌屋さんで、レシピもつけてくれたので、きくさんもそれを見ながら調理されるだろう。
「ありがとうございました!では、合同慰霊祭の時は宜しくお願い致します!また、ご連絡させて頂きます。」
そう告げて、わたしたちは車に乗り込んだ。
出発は、午後7時15分。あまり時間的に余裕の無くなったわたしたちは、レンタカー会社に向け、駐車場を後にし、きくさん達とここで別れた。
(つづく)