沖縄から神戸空港へ戻り、わたしは1本の電話を入れた。それは青山さんへの沖縄旅行の報告だった。年末参加した近大忘年会で交わされた青山さんとの約束でもある。これまで、講演会でお話されていた壕の中へ入り、男性は土をなでてあげてという部分は、今後言い直すとおっしゃっていた。
青山さんから教えてもらった白梅之塔や白梅学徒看護隊の存在によって、わたしは今回の旅を経験させてもらった。改めて、このご縁に感謝し . . . 本文を読む
正面の石碑で祈りを捧げたわたしたちは、荷物を置いたまま移動を始める。移動の際、Iさんはお鈴(りん)を鳴らし続けた。わたしはその後ろをついて行き、お供え物やカセットを持参して歩いていく。お堂のすぐそばの段差を下りて、壕の階段付近へ荷物を下ろした。
Iさんは、『chakoちゃん、ここで音楽流してくれる?』と話しかけてきた。わたしは曲の確認を彼女にし、最初に流したのが“献花”の1曲目の「輪廻転生」と . . . 本文を読む
車が白梅之塔に到着した。道中小雨が降っていたが、ここに到着したとたん、ぱったり雨が止んだ。そして昨日止めた駐車場ではなく、白梅之塔の正面手前で横付けし、わたしたちはたくさんの荷物をお供え台まで往復して運ぶ。まず最初に気づいたことは、明らかに昨日とは異なる空気だった。
『あれ・・・昨日と全く違いますね。』わたしはIさんにそう声をかけると、『昨日立ち寄ったからね、彼女達に明日も来るからって告げたか . . . 本文を読む
朝の目覚めは、決してさわやかというものではなかった。いよいよ、今日だ。どこかしら、重い気持ちを抱えながらも、シャワーを浴びて身支度と整える。朝食の時間になり、Iさんとホテルのレストランでバイキングを頂く。予定していた時間よりもゆったりしていたため、わたしはIさんに『今から前のショッピングモールで買い物をして、時間間に合いますか?』と尋ねた。こうしたことは午前中に済ませるのが常だと感じていたためだ。 . . . 本文を読む
ホテルに戻り、Iさんとの就寝の挨拶を廊下で明日の出発について立ち話をする。明日は9時に起床。10時には朝食を取ろうと約束し、わたしたちはそれぞれの部屋に入った。
こじんまりした小さな部屋に、シングルベットが8割を占める。暖房をつけたエアコンがなぜか”霜取りモード”というランプが点灯し、一向に温かくならない。この薄いベットの上にある布団でわたしは眠りにつくと、もれなく風邪を引くだろう。そう想像した . . . 本文を読む
階段を上がると、Iさんが待ってくれていた。二人とも滅入っている。わたしは少女達の惨たらしい死を、Iさんに語り始めた。わたしが知りうる断片だ。
『白梅学徒看護隊が解散する際、致死量に満たない青酸カリを配布され、それを飲んで自決しようとしたみたいなんですが、死ねなくて、もがき苦しんだ時間があったみたいです。そこから部隊はばらばらに分散したみたいですが、自決の壕へ身を寄せた少女は、アメリカ兵によって . . . 本文を読む
わたしたちは、白梅之塔へと近づく。お供え物の石台には、薄汚れた紙コップが数々並べられ、時間の経過を物語っていた。捧げられた日本人形のケースの中も、雨のせいもあり小さな枯葉やホコリで中がどろどろになっていた。
わたしはようやくここに来た事を戦没者名簿の石碑の名前を一人一人目で追いながら、報告した。この中の誰か、それが誰かは分からないが、確かにわたしの布団を引っ張った壕で亡くなった少女がいる。そう . . . 本文を読む
祝詞を唱え終えたIさんが立ち上がった。その姿を見て、わたしは奥の方向へ歩いていく。三角形の岩をくぐり、その向こうにある小さな祈りのスペースに、じっと立つ。左側には美しい海が見え、ここで過去祈りを捧げていた絵を思い浮かべていた。
この小さなスペースの壁面からは、とてつもない熱を感じることが出来る。光によるものもあるが、岩肌が持つ奥にあるエネルギーが表面から放たれていることが立っていると感じ . . . 本文を読む
『寄満』(ユインチ)を抜けると、最後は『三庫理』(サングーイ)へと導かれる。ここが最も重要な拝所だ。さきほどの気持ちを引きずりながら、この場所へ近づいていくとどんどん空気感に変化があることを肌で感じる。その崇高な気の流れは、メンタルな弱い部分に息吹を送り込み、気を正す作用が内側で繰り返し行われる。これが意図的でないから不思議だ。
細い道を人と人が行き交う。その奥にある『三庫理』(サングーイ . . . 本文を読む
『大庫理』(ウフグーイ)を抜け、わたしたちはまたひたすら歩く。前日雨が降ったのか、石畳の細い道の脇は、泥道になっていた。道案内の小さな案内板にそって歩いてゆく。周りは亜熱帯地方独特の形や色をした樹木が覆い、ここが戦地のジャングルであったことも同時に想起させる。悲しいかなここにも、戦争の傷痕が深く残っていた。
この沼のような小さなため池は、アメリカ軍のミサイル着弾によって出来た大きな穴に長 . . . 本文を読む
沖縄へ向かう前日、私は神戸のホテルへ宿泊をした。早朝の便しか取れなかったという理由から遅れぬよう用心の上での宿泊。そして1月4日、朝日が昇るか昇らぬかの暗い早朝の中でホテルを後にし、神戸空港へ到着。真新しいその空港で搭乗手続きを済ませ、那覇空港へと向かった。
神戸空港から1時間40分で那覇空港に到着。約2時間遅れで友人が那覇に到着する。レンタカー会社が空港まで配車し、その車両に乗り込み、私たち . . . 本文を読む
ご縁というものには、必然として意味がある。それは必ず『時』がのちに知らせてくれる。この言葉を昨年は本当にこころの底から感じた事だ。
戦没者を思う機会は、毎年8月にやってくる。広島の原爆、長崎の原爆、そして終戦記念、テレビから流れる映像によって、戦没者を思う気持ちというものが、戦場で戦った人ではなく、そこに住んでいた人の被害者の死が主として語り継がれ、戦争をいけないもの、悲惨なものとして想像を掻 . . . 本文を読む