たった8時間しかいなかった沖縄での滞在。そして同窓生の方々と白梅之塔でお逢いしたのが2時間。日帰りの沖縄は、正直時間の余裕のなさを露呈させた旅でもあった。しかし、この余裕のなさこそ、用意周到にも繋がり、そして粗相のないよう、前もっての準備に余念がなかったことも確かだ。行って気づくこともまた、多くあった。現地で舞い上がった事もあったが、それでも主旨に沿って、祈りを捧げ、同窓生の方々に届けたかった . . . 本文を読む
献花やお掃除を終えたわたしは、再び慰霊碑前の献花台へ向かった。並べられたお供え物の片付けである。中山さんは『わたしたちの持ってきたものをウサンデーしてくださいよ。』とおっしゃる。同窓生で作った清明の季に供える食べ物だった。
『これを持って帰って下さい。いつもこんな物しか供えていないんですけど。お口に合うかどうか。』そう言って、武村さんはお重いっぱいに詰め込まれた食べ物を見せてくれた。
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壕から出たわたしは、残りの納骨堂、そして白梅之塔の最初にあった慰霊碑、そしてお地蔵様、また隣接された萬魂之塔や陸軍大尉中村巌之碑にもお花を手向ける準備をした。
足の悪い東恩納さんは、献花の際のお掃除なども手伝って下さり、『これはどうしましょう?』などと声をかけてきて下さった。中山さんたちは、ここにお参りに来られた他の男性たちと挨拶を交わし、お話をされている様子。この時間を使い、つぎつぎとお供え . . . 本文を読む
壕の入口で、わたしは一呼吸し、お盆を入口のコンクリートの上に置き、チベットのお鈴を棒で鳴らし始めた。ああ、空気感が変わってゆく。ゆっくり、鳴らしながら一段一段降りてゆく。そして、まずはここで少女達に再び来れたこと、そして、同窓生の方々と会う事が出来たことの御礼を告げた。また戻り、お盆を持って壕の下へとゆっくり降りてゆく。下から5段目手前でこのお盆をセッティングし、再びお鈴を鳴らし始めた。
この . . . 本文を読む
中山さんは、わたしが送り続けているお線香『白梅』について、手に握り締めた線香入れの薄紫の筒の中から、セロハンテープで束ねられたその線香を取り出し、こう話し始めた。
『○○さんから戴いた、この白梅というお線香は、とってもいい香りですよね。わたしが平和学習で学生の子たちに話をした後、このお線香を彼らに25本ずつ渡しているんですよ。ほら、テープで止めてね。学生の子たちも、いい香りですねって言ってまし . . . 本文を読む
木々に覆われた白梅之塔に近づき、わたしは慰霊碑へと目をやった。すでに白梅同窓生の皆さんが石のベンチに座り、待っている姿が見えた。車をそのまま駐車場に入れ、エンジンをかけたまま、わたしはダッシュで走って行った。ベンチに座られていた方の一人が近づいて来るのが見えた。中山きくさんだった。
『遅れまして、大変申し訳ありませんでした。はじめまして、○○でございます。この度は、大変なご無理を申しまして、わ . . . 本文を読む
団体観光客と入れ替える形で、わたしは最も崇高な場所であるその奥地へと入っていった。海を眺め、静かに手を合わせる。
腕の肉にずしりと食い込んだナイロン袋の水2本を取り出し、その場でしゃがみこみながら、蓋を開けた。この2cmほどの円形状になった飲み口の空間。この小さな間口に、天に向かって力を注いで頂けるよう願う。毎月地元蛭子神社で、龍王神祖神奏上詞(りゅうおうじんみおやそうじょうのりと)を読 . . . 本文を読む
緩やかな坂道を上がり、斎場御嶽の受付で200円の入場料を払い、わたしは玄関待機室のドアを開け、山への入口にある石碑に一礼をした。基本的に山に入る時、一礼は必ず行う。穢れたものが自身の中にあり、その穢れをこの場に落とす事に対する赦しの一礼である。柔らかく包むこの空気の中で、わたしの視線は、ほんの少し先を見ていた。
山と言ってもある程度整備された山道である。1月にはなかった石段の上に作られた木の階 . . . 本文を読む
4月24日出発の朝、飛行機に早朝から乗り込み、現地沖縄へ到着したのが、10時半すぎだった。地元とは異なり、暖かい日差しがほんのりと心地よく、1月に来た時よりも湿度を感じた。
空港で、一瞬そんなことを感じつつも、時計を何度も見返していた。空港には前回利用したレンタカー会社の送迎バスが待機。ここに荷物を積み込み、わたしはバスに乗り込んだ。乗客はすぐにいっぱいになり、わたしは前回と同じ席の運転 . . . 本文を読む
今年1月4日5日の両日、沖縄にある白梅之塔へ慰霊の短い旅に出かけた。白梅之塔には、『名刺受』と刻まれた石のポストがある。ここへお参りに来て下さった方々のために、白梅同窓生を代表して会長である中山きくさんがお礼状を書くために設置された石のポストである。わたしはあの時、手紙をしたため入れさせて頂いた。自宅に戻ってから1週間経たないうちに、中山きくさんから丁寧なハガキを受け取ったのである。これが始 . . . 本文を読む