心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

きくさんとのお電話

2016年07月12日 | 慰霊
先の文春による選挙妨害を欺くかの如く、我々の民意は何ら影響を及ぼされず見事に払拭し、青山繁晴氏は高得票数で参議院議員選挙に当選されました。組織票に頼る事をせずに得た驚異の得票数は、国内における様々な閉塞感、この打開への期待の数値と思われた方も多かったのではないでしょうか。 さて、その選挙期間中の街宣で、他の候補者と一線を引く演説が各所でありました。青山氏は選挙とは政策に直接関係のない話題とし . . . 本文を読む

二日市保養所への慰霊 5 【仁】

2014年04月27日 | 慰霊
お供え物やお花を積み込んだ車両は滑り出し、いよいよ二日市保養所跡地へと向っていた。 車中、運転しながらWさんがわたし達に、「もう到着されてるIさんから、保養所跡地にある老人ホームの施設側に、清掃の件をお願いしましたところ、了承してくださったって仰ってました。」と説明をしてくれた。 細やかな配慮に感嘆としながらも、有り難い手配に少し胸が熱くなった。敷地内に入り、勝手に掃除をする事が良かれと思 . . . 本文を読む

二日市保養所への慰霊 4 【正式参拝】

2014年04月14日 | 慰霊
会場の外で喫煙を終えた頃、W氏が駐車場から車を出され、目の前に付けて下さり、車へと乗り込んだ。激しい音を立てながら雨も本降りになって来た。 二日市保養所へ向う前に、最後に立ち寄る二日市八幡宮で、白梅慰霊の会として正式参拝をし、ご祈願と参加者全員でお祓いを受けてから現地へ向う。 二日市八幡宮への正式参拝予約は、予めWさんが地元という事もあって全て手配して下さった。この日は、神社側が関係先の . . . 本文を読む

二日市保養所への慰霊 3 【引き揚げ】

2014年04月08日 | 慰霊
聖福寺で、感じ取った仏様への救いを求めた祈り、その残り香に当時の状況に想いを巡らせていた。糸口となった白山妙理大権現様が伝えてくれた当時の人々の心の傷によって作られた不浄な想い、ここは重たく脳裏に焼きついた。 こびり着くかのような重たさを抱えながら、私たちは駐車場へと向った。その脇に医療孤児施設であった聖福寮、現在は”花ぞの保育園”となっているが、横を徒歩でゆっくり見つめながら通過した。土 . . . 本文を読む

二日市保養所への慰霊 2 【聖福寺】

2014年04月06日 | 慰霊
車は福岡入りし、古賀インター付近のサービスエリアで、気力体力を消耗した私たちは、睡魔に襲われほんの少し仮眠をした。もうエリア内の駐車場には大型バスがすべり込み、観光客が歩いている。空は、ほんのりと曇っていた。 仮眠後、Wさんと電話でやりとりを行い、落ち合う場所の確認をMさんがしてくれた。ほどなくしてから古賀インターを下車し、Wさんと合流。わたしの希望で、美味しいコーヒーを飲みたいと、朝食を . . . 本文を読む

二日市保養所への慰霊 1 【序章】

2014年04月04日 | 慰霊
1月24日夜11時半、自宅を出て、合流し、天下一品でラーメンを食べた。わたし、相方、そして慰霊の会のメンバーMさん、3人でこれから福岡県の二日市保養所まで車で向かう直前の夕食だった。 関西から福岡まで、小さな車で二日市保養所への日帰りの慰霊の旅。知人からは20代の無謀な旅と爆笑されたが、準備のためにスタットレスタイヤまで購入したわたしは、この旅路の過酷さを想像もしていなかった。三人もいれば、 . . . 本文を読む

霊象で見る御英霊の願い

2014年01月03日 | 慰霊
新年を迎え、今年は例年以上に靖國神社への参拝者が多かったのは、12月26日の安倍首相による政権一年目の節目の参拝によってより広く関心を抱かれた結果だと想像致します。靖國へ合祀されました大東亜戦争時の御英霊も、さぞかし喜ばれた事と、遠路にて想像し思いを馳せておりました。 ニュースでしか知りえなかった方々も、実際に靖國神社へ行かれ、ご自身の体感によって、また世間で流れている情報とは異なる印象を抱 . . . 本文を読む

沖縄の神様

2013年05月13日 | 慰霊
西洋では、神様と悪魔の対決では、神様が勝ち、東洋では、神様と悪魔の対決は引き分けという。そんな勝敗にちなんだ宗教的な話は数々あるが、神様も悪魔もいわゆる目には見えないものだ。 この神々の対決のお話しに触れ、感じ入ることがある。それは、わたしの中では神様の存在はあるが、神様と等しいほどの力を保持した悪魔は、存在しない。 悪魔というのは、単に人間の邪のこころが作り上げた偶像でしかないと思ってい . . . 本文を読む

絵葉書

2013年05月10日 | 慰霊
絵葉書がどーんと、届いた。 わたしが白梅之塔を初めて訪れた時、宿泊先で書いた手紙を、名刺受けに入れた。 帰宅後1ヵ月も経たないうちに、白梅同窓会の会長から返事が届いた。 郵便番号の枠が5桁の色褪せた、決して真新しいとは言えない、 乙女の祈りという絵葉書だった。 郵便番号の枠の上には、7桁の郵便枠の切り取られた紙が、のりで貼り付けられた。 手に取り、文章に触れ、そして、この郵 . . . 本文を読む

もうひとつの白梅19 【あとがき】

2012年06月20日 | 慰霊
あとがきの長文を書き記す前に、まず、はじめに、この旅に同行してくれた二人の仲間と相方、そして一緒に行かぬとも、想いを重ねてくれてた仲間達に、こころから感謝している。そして、白梅同窓生の方々にも、受け入れて頂き、貴重な時間を共にして頂いた事に、深く御礼を伝えたい。 同時に、慰霊に関心を寄せられる全ての方々に、この旅を一つの区切りとし、感じ取ったこと、全てをお伝えてしておきたいと思う。【幸多 . . . 本文を読む

もうひとつの白梅18 【その後の便り】

2012年06月19日 | 慰霊
自宅に戻ってから、わたしは同行してくれたカメラマンの仲間からこの両日の写真データを頂いた。膨大な枚数だ。10日にお食事をご馳走して下さったきくさん達のために、その中から選び、小さな写真のアルバムを作った。そして、音源を持っていないきくさん以外の方々には、『白梅の少女達』という1曲収録したCD-Rを作り、全員にお礼状を添えて、お送りした。 1週間ほど経った頃、わたしの所に、白梅同窓会の我喜 . . . 本文を読む

もうひとつの白梅17 【また6月に】

2012年06月18日 | 慰霊
完全にやられていたわたしは、仲間と共に再び眞山之塔の慰霊碑前へと歩いて行った。持ってきた荷物を各々が手に持ち、片付けていく。 『お鈴の音で、めっちゃ空気変わったなぁ~。』 『うん・・・。この場所は、壕どころの話しやないわ。もう、完全に覆いつくしてたで。お鈴がなかったら、完全にアウトや。○○(相方)、大丈夫やろか・・・苦笑。』 わたしは、カメラマンの仲間の一言に、そう答えた。相方 . . . 本文を読む

もうひとつの白梅16 【得体の知れないエネルギー体】

2012年06月17日 | 慰霊
わたしが祈りを奉げた後、順次仲間達それぞれが御参りを行った。祈りが終わった後、わたしは、手に持ったチベットのお鈴をいつもに増して、止める事なく、鳴らし続けた。辺り一帯を覆い尽くした何か、その何かに向け、払う作用を期待し、このお鈴の音色に全てを託した。 正直、この場所は、とても歌を唄える状況ではなかった。御霊の想いを覆い隠すように阻み、得体の知れないエネルギー体の塊が気の流れを完全に封印し . . . 本文を読む

もうひとつの白梅15 【落差】

2012年06月16日 | 慰霊
わたしは入口の前まで徒歩で行き、ようやく辿り着いた。閑散とした全体像である。人は誰一人としていない。ゆっくりと、並びにある山形の塔に礼拝をしてから通り抜け、正面の眞山之塔の慰霊碑前まで歩いた。空気はぐっと重くなる。 眞山之塔と刻まれた慰霊碑は、素材の材質によって、雨風の影響を受けたせいか、全体が赤く錆びたような色合いにまで汚れが付着し、風化の一途を辿った様相で、わたし達を迎えてくれた。遠く . . . 本文を読む

もうひとつの白梅14 【はやちかぜのかみ】

2012年06月15日 | 慰霊
仲間にカセットデッキの入ったカバンを持ってもらいながら、わたしはお鈴を手に、壕の入口前で再びお鈴を鳴らし始めた。外から鳴らしただけで、壕の中はまた明るくなっていく。カバンの中からカセットデッキを取り出し、音源を鳴らす準備をした後、階段をゆっくり下りていった。先に、合流した仲間にお参りをしてもらい、わたし、相方、カメラマンの仲間と続いた。 この日は、わたしは般若心経を唱えた後、右側の方向に . . . 本文を読む