心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

憤慨

2012年01月31日 | 震災
●SANSPO.COMニュースより転記 http://www.sanspo.com/geino/news/120128/gng1201280506002-n2.htm ジャニーズ復興募金、仙台パンダ数十億円援助 2012.1.28 05:05 「被災地の子供たちの笑顔を1つでも取り戻せればいい」。この思いを胸に、マッチが自らパンダ誘致に奔走していた。  近藤は昨年12月22日、女優 . . . 本文を読む

誠意

2012年01月23日 | 雑感
光市母子殺害について最高裁での弁論に死刑回避の主張がありました。 改めて、この世に生きている人間として言葉をかけたいと思います。 罪を背負って生きる事もありません。 事件を起してから14年も経って、 殺意がなかったという答弁には、 反省もありません。 また、反省したからと言って、 人生やりなおせる罪でもありません。 黙って死んで詫びなさい。 それが被害者に対する . . . 本文を読む

4つの分類

2012年01月22日 | 思索
最近、公の場における人間の在り方についてを深く考える機会が増えてきた。 それは、人が創り出す世の中の事象を通じ、漠然と思っていた事がだんだん克明に感じられてきたことである。 まず大きく分けると二つに人は分類される。物事に対し、感じられる人=【A】とそうでない人=【B】という区分だ。その上で、感じられる人も、その力も強弱がある。ここからさらに二つに分かれ、平面で感じられる人=【A-1】と、 . . . 本文を読む

確かな事実

2012年01月20日 | 震災
昨日、福島県での震災直後の話を聞いた。 それは津波に飲まれた病院に、勤務されていた医師の話だった。 その医師は、幸いにも命を繋ぎ、この話しを語っている。 震災直後、病院内には、医師、看護士、患者がいたが、 津波が押し寄せ、多くの人や物を飲み込んで行った。 その医師の目の前を津波に飲まれそうになったベットの上で、 一人の患者さんが、医師に向って、 「先生、ありがとうーー。」と一言 . . . 本文を読む

2012年01月19日 | 雑感
毎年、京都東山区にある清水寺で、世相を漢字一文字で表す行事があるが、平成23年12月に選ばれた漢字は「絆」だった。 この絆(きずな)の意味は、端的に言えば、人と人との断つことのできないつながり、離れがたい結びつき、という意味であり、訓読みの場合、絆(ほだし)と言い、その意味は、縛る、繋ぐという意味。本来の絆の意味は、この両方の頑ななこころを指している。 普段イメージとして捉えている絆(きず . . . 本文を読む

【9】福島の地に立って

2012年01月12日 | 震災
車は、川俣町の入り組んだ抜け道に入って行った。どうやら、商店街のようである。あちこちにノボリが立ててあった。 「風評被害に負けないで!がんばろう福島」 色彩のデザインは、日の丸を用いたものであり、わたしはこのノボリを作られた商店街の店主たちの壮絶な目に見えない世論との戦いを想像し、このノボリによって、互いに励まし結束しようとされる想いが垣間見られてならなかった。 放射能は数値とし . . . 本文を読む

【8】福島の地に立って

2012年01月11日 | 震災
南相馬市で感じたお亡くなりになられた人々の想いに触れ、衝撃的事実に向き合うためには、やはり時間がかかった。なんたる潔さだ。環境がもたらす人間の精神に感嘆としていた。 人々は助け合いながら、それでも自立心を持って生きていたのだろう。それは、どこか公のための生きるという部分を胸に秘めた人々の死のように感じていた。わたしは改めて、震災時における福島県民の生き残った人々の冷静さ、気丈さ、情の深さ . . . 本文を読む

【7】福島の地に立って

2012年01月10日 | 震災
6号線沿いでは、大きなトラックが数台、今も流され壊れてしまった家屋の廃材を分別し、運んでいる。太平洋側に最も近づいたところで、Y秘書は車を道路脇に停車し、車両から降りられた。わたしもカメラを抱え、津波で飲み込まれた場所に、初めて立った。 ニュースで想像していたのは、現地に行けばおそらく、亡き人々の想いや魂に触れ、重たい気持ちになるだろうと思い込んでいた。大勢の人が一度に亡くなられた場所、 . . . 本文を読む

【6】福島の地に立って

2012年01月09日 | 震災
飯館村を後にしながら、通過していく道中の両脇の田畑を指し、Y秘書はこう告げた。 「田んぼはね、2年耕さなかったら、一度死ぬんですよ。もし、この田んぼに田植えをしようと思えば、2年以内にしないと、お米が出来ないんです。」 避難区域であったため、所有者もなかなか立ち入る事が出来ずにいた昨年の夏は、この一帯雑草で大変な風景だったと言う。今、その雑草が枯れ、一部の所有者が一時的に村に戻り、雑 . . . 本文を読む

【5】福島の地に立って

2012年01月08日 | 震災
園長先生や保育士の皆様と玄関でお別れをし、園長先生はお寒い中駐車場まで出てきて下さった。最後、車の窓を開け、互いに会釈し、聖心三育保育園を後にした。1歳未満の幼児の表情が脳裏から離れず、わたしは重たい気持ちを引きずったまま、後部座席に座った。 車はこれから、飯館村へと向かう。 飯館村は、相馬郡の中で唯一太平洋に面していない内陸部の人口6000人ほどの村だ。東日本大震災の時、震 . . . 本文を読む

【4】福島の地に立って

2012年01月07日 | 震災
御礼を読み上げた園児の後ろには、同じ背丈の男の子が手作りのメダルを持っていた。小さな男の子は、親族に手作りのメダルを首にかけた。園児達から大きな拍手が重ねて送られた。わたしも募金活動を数回手伝った立場として、この瞬間に立ち会えた事は本当に喜ばしかった。 募金活動中、わたしは嬉しくて泣いた事があった。それは、駅の改札口の傍で募金をしている時だった。この時、大勢の大人が先を急ぎ見ないよう行き . . . 本文を読む

【3】福島の地に立って

2012年01月06日 | 震災
玄関先で保育士の方々に出迎えられた後、ドアの向こう側から一人の女性がやってきた。 「遠いところ、本当に有難うございます。本当に、よくおいで下さいました。」そう言われ、深々とお辞儀をされた。園長先生である。玄関で迎えられたわたしたちは、ホール内に設置された円卓のテーブルにある椅子に座らせていただいた。わたしの真向かいには、園長先生が座られ、左には親族、右にはY秘書が座られた。 事務室か . . . 本文を読む

【2】福島の地に立って

2012年01月05日 | 震災
平成23年12月20日。午前7時半。やまびこは、福島駅に到着した。 新幹線から降りると、体感は寒さが猛烈に感じられた。ひんやりとした構内を歩く。 歩いている脇には、立ち食い処のおそばやうどんがあり、ここで、おそばを頂くことになった。この寒い構内で、調理をするご婦人はかなりの薄着である。福島の人は、寒さに強いのだろうか。調理の際の水も、冷たいだろうと、そのご婦人が気になってしまった。彼 . . . 本文を読む

【1】福島の地に立って

2012年01月04日 | 震災
平成23年12月19日 午後11時半。 わたしは、地元のJR駅構内にいた。東京に向かう寝台車を、時折風に吹かれながら、一人待っていた。列車の中で一泊する旅の先は、福島県である。 この旅の目的は、今年3月11日に東日本大震災が起り、その後親族が募金活動をし、善意を持ち寄って下さり集めたこころある方々のお金を、福島県にある保育所へ直接届ける役目の同行の旅だ。 当初、多忙な時期もあって、思 . . . 本文を読む

分断される一年

2012年01月02日 | 雑感
今年の元日は、穏やかな始まりだった。 昨年、予見していた災害も、想像以上の被害を被り、深く悲しみに包まれた一年であった。 しかし、その反面、人のこころの清らかさなども、表に浮かび上がったとも言える。 その上で、震災に対し、どれだけの人々が、今も意識に留め、継続し持ち続けただろうか。 その結果が、この新しい一年ではっきりと出てくると感じている。 平成24年。 今年は、日本国民が . . . 本文を読む