その後に向った平和記念公園では、結果案内所だけ立ち寄り、敷地内にある各所の施設の全景を目視したが、結局どの施設も立ち寄らずにこの場を立ち去った。また、ひめゆりの塔も施設の前の道をゆっくり通り過ぎ、結果立ち寄らなかったのである。
平和祈念公園は、大規模な敷地を整地し、アスファルトを敷き、平和祈念資料館等数々の施設を建設し、戦争の歴史、戦争の悲惨さを訴えるため、生き残った人々の手によって、時間 . . . 本文を読む
予想通り、次の日の現地は風によって木々から落ちた枯葉の断片が、コンクリートの道を覆っていた。どこかしら、今日の白梅之塔は泣いているように感じる。正面の慰霊碑、そして納骨堂、お地蔵様とお参りをし、壕へと向かった。清掃の甲斐もあって、壕の前の広場はスムーズに水が流れていた。
壕の入口に立ち、一礼をする。途中まで傘を差していたが、それをたたみ、設置したお地蔵様の前へと進んだ。蝋燭に火を灯し、お線 . . . 本文を読む
滞在時間は、20分ぐらいだっただろうか。ハガキを手渡してから、きくさんのエネルギーが少し外に放出され、目の力が甦っていた。
『では、そろそろ・・・・。』わたしはそう切り出し、荷物を抱え立ち上がった。
『今日は、本当に有難うございました。何もお構いも出来ずに。』
『いえいえ、こんな遅くまですみません。』
『あの、これ・・・沖縄ではこういう風習があって、お持ち帰り下さい。』
娘さんが、わ . . . 本文を読む
ひとしきり喜ばれたきくさんは、白梅之塔にお参りに来られた方々のお話を始めた。
『○○さんの日記を読んで、白梅之塔にお参りに来られた方もいらっしゃってね。確か、福岡県の方だったかしら?ご夫婦でお参りに来られてて、本当に有り難かったですよ。青山先生がお話をされたおかげで、今本当にお参りされる方も増えてね~。青山先生にも、本当に宜しく仰ってね。』
そう言って、『あ、そうそう。』とつぶやいて . . . 本文を読む
きくさん宅は、沖縄の伝統的な平屋造りで、南国らしい植物が玄関の両脇に植えられていた。門をくぐると引き戸の玄関があり、靴脱ぎ場の横は、すぐに居間になっている。目を向けると女性がいすに一人座り、もう一人テーブルの向こう側で正座をされている。
『こんばんは。はじめまして、○○と申します。
この度は、こんな夜分に、ご無理申しまして、申し訳ありません。
お邪魔致します。』
わたしがそう挨拶 . . . 本文を読む
外は真っ暗になり、時計を見た時、もう午後7時すぎだった。今日1日で5時間近くいたことになる。丹念に清掃し、お参りし、献歌も終え、荷物を持って車に積み込んでいった。最後に、慰霊碑に向かって、一礼をし、次の目的である中山きくさん宅への訪問するため、車に乗り込んだ。街灯のない道なりを走り、ようやく目印となるスーパー近くの交差点まで行った。
きくさんちは、那覇市内である。宿泊先も偶然ながらこのエ . . . 本文を読む
『草原の少女』という曲は、この場所で今回唄うのも3回目になる。自身のLIVE活動で、アンコールやLIVEのラスト曲で常々唄ってきた大切な曲の一つだ。この曲をLIVEで唄ってきた想いの発端は、一期一会にある。LIVE会場で出会う数時間のえにしではあるが、わざわざ来てくれた人たちに、別れ際に幸多かれと願いを込めて捧げてきた。
壕の暗闇の中で、蝋燭の一本の灯りが、壕の壁面を照らす。そこにはだんだ . . . 本文を読む
最後に献歌を捧げるために壕へと向かったが、時間は午後6時半頃になっていたようだ。全く時間を気にせず行いを優先させただけに、気付けば暗闇の中である。11月の沖縄でも、やはり午後6時を超えると一気に暗くなる。
((((((((((バタバタバタバタバタバタバタバタバタ))))))))))
到着した時、目の前には、目覚めたこうもりの大群が、壕の中から活動開始モードで一気に飛び出してきた。こんな光景は . . . 本文を読む
辺り一面にオウムの音が鳴り響いた後、壕の中へと向かった。お地蔵様と、お供え道具、そしてお供え物を一式持参し、中段目のブロックの上にまず配置していく。6月に訪れた時の黒ネコの人形二体は隅に置いて、中央にお地蔵様。そしてお花は右端に設置し、蝋燭台、湯のみ、お供え器、線香受け、おりん、線香立て、りん棒立て、そして、わたしの父が作ってくれた蝋燭入れの木箱、これらをバランスよく配置していく。定位置が決 . . . 本文を読む
不覚にも壕の中で嗚咽し、どえらい表情で仲間を呼んでしまったが、その後は落ち着き、各自持ち場に分かれ、仲間は慰霊碑側の広場、わたしは壕の前の広場を掃いていった。
ここには、ホウキの予備が木々に傾けられているが、ちりとりはない。改めて、掃除道具箱があればいいな~と思いながらも、枯葉を4箇所ほどに分けて山盛りに固めていった。明日は必ず雨が降る。枯葉は濡れると動かないので、固めておけば、雨水はスムーズ . . . 本文を読む
神々しい光に導かれながら、5ヶ月ぶりになろうとしている白梅之塔の前に到着した。道を挟んだ駐車スペースには、大型のバスが停車しており、そのバスの中には数十名の人影が見えた。白梅之塔にお参りに来られたご一行だろうか。わたしたちは車から降りて、後ろに積み込んだ荷物を下ろし、目の前にある慰霊碑に一礼をし、荷物を持って敷地に入った。荷物の量はとても多く、何度も往復しながら全て慰霊碑前に運んだ。
さ . . . 本文を読む
車中に乗り込み、あの花屋さんの女性の心配りに、わたしも仲間も完全にやられていた。人のこころに染み入るのは、親切心である。慰霊でたくさんの花を買ってくれたからと言って、なかなか無償提供出来る店も人も少ない。あの女性だからこそ、そのような心配りがなされたのだろう。
見慣れた風景が流れていく中で、時計を見る。14時を廻り予定到着時間はすっかりオーバーしていた。
『あ~、随分遅くなったなぁ~ . . . 本文を読む
11月12日、午前8時半、那覇空港に向け飛行機は出発した。この日は風が強く飛行機のアップダウンもあって、少し遅れて11時に到着した。いつも利用しているレンタカー会社のバスに乗り込み、空港から10分ほど離れたレンタカー会社で手続きを行った。車両の色はリクエスト通り、黒色を確保して頂き、ご機嫌に荷物を車中へ積み込む。
この日の沖縄は、空はどんよりと曇り、幾重にも重なった雲の色は、今にも雨が降 . . . 本文を読む
出発の前日11月11日に、自室でキャリーバックに荷物を詰め込んでいたところ、携帯電話がなった。電話は白梅同窓会会長の中山きくさんからだった。
『もしもし、○○でございます。ごぶさたしております。お変わりございませんか?明日お世話になりますが、宜しくお願い致します。』と、ご挨拶をしたところ沈んだ声できくさんがこう話された。
『○○さん・・・本当にごめんなさい。明日ね、私が行く事が出来ない . . . 本文を読む
今回の旅の準備は9月頃から始めただろうか。6月の慰霊祭に参加した時、形式を重んじ大切にされた式典を維持されている同窓会の方々の真心と、異なる形で自分が出来る真心とは何だろうと考えて続けて来た。
6月23日の合同慰霊祭に参列してから早4ヶ月が過ぎ、今年もあとわずかで終わろうとしている。1月、4月、6月と白梅之塔へ三度出向き、お参りをさせて頂いたが、11月12日・13日の両日、今年最後の四 . . . 本文を読む