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飛騨・桜洞城 飛騨川左岸の段丘上に築かれた土豪、三木氏の平城

2019-05-02 | 歴史
桜洞城は岐阜県下呂市桜洞にあります。
佐伯哲也氏の「飛騨中世城郭図面集」を片手に、圃場整備で失われた遺構が多い中、今に残された痕跡を探し求めての見学になりました。

三木氏の出自は明確ではないようですが、京極氏の被官として益田郡(下呂市の大部分と高山市の一部)を与えられ、桜洞城を築いたとされます(諸説あり)。「飛騨中世城郭図面集」の記事によれば平成15年の時点で、すでに大きく改変され、西側はさらに早い時点で高山本線の工事で削り取られたようです。


現在(Google)と昭和23年(米軍)の空中写真
写真を比較してみると、圃場整備の前後の変化がよくわかります。南側の堀切は昭和23年にはほぼ残っていたのがわかりますが、現在は堀の西端部がわずかに残るのみとなっています。昭和23年段階では東側の堀は南半分に痕跡が認められます。現在も南の一部にその痕跡らしき地形が残されています。
 古い記録によると、今の堀の外側にもう一本の堀があったようですが、今は全く確認できません。
北側は谷へ落ち込む急な崖地で、その「ヘリ」には今も土塁を見ることができました。


桜洞城 南側 堀遺構の西端部にわずかに堀地形が残されている。写真奥下に町が見える
堀は埋められ道路になり細い水路が残され、土塁も削り取られたので、わずかにここだけが堀遺構として残されていました。縄張図とはずいぶん違った姿になっていました。


桜洞城 北西部の遺構 大きな堀がしっかり残っていて、貴重です
図面集では北西隅の林の中の遺構が主郭の遺構と評価されています。削り取られた部分が多いので原状をうまく想像できませんでしたが、逆L字型に堀がしっかり残されていました。堀の南端部には大きな石の石積がありました。


桜洞城 南側は高山線に削られて急な崖になっている
古い資料によると、城址は線路寄りに張り出していて「ヘリ」には土塁が築かれていたということです。今は想像するしかありません。


桜洞城 北西隅部の崩れた石積
城址の北西隅には主郭があったと評価されていますが、その北側法面には石積の跡が残されていました。ここから崖下へ降りる道がありました。往時にもあった可能性がありますが確定はできませんでした。


桜洞城 北東隅の石垣 ひょっとすると東側の堀の端部?
東側の堀の北側部分は現在は失われていますが、延長してみると、この部分になります。北側の谷沿いの石垣はひょっとすると、堀の北端部の土留めのため積んだのではないかと想像してみました。・・・あくまで想像です。

桜洞城は遺構の残りが部分的だったので、明確に原状を再現することが困難ですが、想像をたくましくして見学すれば、結構楽しめると思いました。

※ 駐車は農作業の車の邪魔をしないように、主郭付近(城址標柱あり)へ停めました