杉本参考地は愛知県豊田市杉本町にあります。マップあいち(愛知県統合型地理情報システム)のWebsiteで昨年公開された「森林情報マップ」の微地形図(赤色立体地図)で同地区の大垣内城、源重城を確認していると、両城の間にいかにも山城状の地形がありました。
杉本参考地 付近にはいくつもの山城がある
杉本参考地 赤色立体地図に表れた山城に見える地形
手持の資料には載っていない、いかにも山城に見える地形です。耕作地跡、寺院跡などの場合も多いので新発見の山城跡と安易に言うことはできないと思います。
赤色立体地図の解像度には限界がありますが、帯曲輪状の5 堀切と土橋に見える4、 4’とAなどの地形が在りますので、現地で確認してみました。
杉本参考地 地形5 西から 左上に地点1
地点1を取り巻く地形5は帯曲輪状の地形で切岸は高さが3m近くありました。地形5は地点1を取り巻いていたようですが、参考地の北側部分は林道や旭中学校建設等で法面が切削・採土されていますので遺構地形は失われていました。
杉本参考地 地点3の墓所 最高所1を削り取って墓所が設けられている 奥に地点1 西から
地点3には「鈴木家累代之墓所」と刻まれた立派な墓標が立つ墓所がありました。地点1は、他に江戸期の墓石などがいくつか放置されていました。
杉本参考地 地形4と4’ 間に土橋A 東から
赤色立体地図で目立っている堀切状地形と土橋地形は山城の遺構に見えました。ただし土橋を通る道bは後世の改変によって拡幅されているようですので、原形を保っていないかもしれません。
杉本参考地 堀切状地形4’ 北下から 奥上に土橋A
地形4は幅が広かったですが、地形4’ は、いかにも堀切という地形でした。
杉本参考地 地点2 ほぼ自然地形 西から
赤色立体地図では地点1と対になった平場のように見えましたが、現地で見ると、削平がされていない自然地形に近いように見えました。ここには墓石は見あたりませんでした。
杉本参考地 左に道b 左に通路9 中央上に地点2 寛保三年の石造物が立つ
地点2の東下には林道があり、法面を削られたようですので通路9は狭くなっていました。道bと通路9の分岐点には寛保3年の石造物が立っていましたが碑面の文字が風化で読めなくて何の石碑かは不明でした。
杉本参考地 通路9 南から 左上に地点2 右下に林道
通路9の現況は狭い通路状になっていましたが、近年の林道工事によって法面が切削されて、狭くなったようにみえました。
杉本参考地 幅の狭い平場6 西から 犬走にも見える
赤色立体地図でも見えるように、参考地の南側斜面には何段もの平場がありましたが、日当たりのよい南面ですので耕作地の可能性もありですね。山城であれば犬走といえそうです。
杉本参考地 平場8 南面の幅の広い平場 東から
参考地の南面には、大小多数の平場がありますが平場8は幅広の平場でした。現況では参考地の北側が切削されていますので、北面に平場があったかどうかの確認はできませんでした。
杉本参考地 地形7の平場 北西から
平場7は尾根の先端にあり、つづら折りの道aが尾根の下まで続いていました。ヒョットすると、道aは古い道で墓参の道としても利用されていたのではないかと想像しました。
杉本参考地は、現地を見ても城郭遺構かどうかは断定できませんでした。山城や歴史に詳しい方々に赤色立体地図などを見ていただいて見解を伺ったところ「城跡のように見えるが赤色立体地図だけでは判断が難しく、現地現地での確認、地元の伝承等の裏付けがあると良い」とのことでした。その1では赤色立体地図の地形を現地で確認しましたが、後日 専門専門知識が豊富な研究者の方に同行して頂いて縄張図も描いていただきましたので、その2で紹介したいと思います。