私は、これまで様々な、いわゆる自己啓発という類の本を読んできた。
そのどれもがそれなりの指針と刺激を与えてくれたことは間違いない。
ただ、感銘を受けるというのとは少し違っていた。
せいぜいが、参考になったという程度で留まったのである。
それが証拠に、「読み返す」ということをした本はほとんどない。
でもこの本は、常に手元に置いて、何度でも読み返したいと思った。
大袈裟に言うならば、宗教を持たずに過ごしてきた私の聖書となるかも知れない。
では、何故これまで読んできた本とそこまでの違いを感じたのかである。
そこを自分に問うてみた。
それには、自分が何故その類の本を欲するか?というところから辿るのが分かり易い。
一言でいえば、それは「成功」したいからではないか。
成功の「コツ」を探していたんだと思うのである。
ひとかどの人物たりたいという欲求と、利己心は紙一重である。
出来の悪い私は、如何に抜きんでるか、という欲求があったのではないか?
そして、そのための「考え方のノウハウ」を探していたのではないか?
これは、平たく言えば、利己的な「欲」である。
限りないもの、それは欲望・・・という歌があったが、正しく「欲」が求める動機ならば、次はもっと刺激を与えてくれるものがあるんじゃないかと、次々と新たなるものを求めてしまう。
とどのつまりは、いつまでたっても本当に感銘を受けることが出来ないというジレンマに陥るのである。
この本は、そこのところの基本的な疑問→思い違いに気づかさせてくれたような気がする。
もう少し具体的に述べよう。
その内容のほとんどは、これまで私が学んできた様々な本と共通する点が多い。
例えば、『引き寄せの法則』や『思考は現実化する』『ザ・シークレット』『マーフィーの法則』そして、『原因と結果の法則』等々。
それらは、「思い」が如何に大切か、そして、「潜在意識」の神秘を説く。
そして、行き着くところは、「宇宙の法則」や「サムシンググレート」となるのである。
「神」のごとき存在は、それをそう呼ぶかどうかは別として、確かに存在して、我々人間はそれに生かされているという考え方である。
唯物的な教育を受けてきた我々は、なかなかそこのところの「壁」を越えるのが難しい。
感情的には、そう考えた方が神秘的だし楽しい。
しかし、その考え方は「逃避行動」ではないか?とか、そうそう簡単に自己の「真理」をすげ替えていいものかという自己欺瞞が残る。
もっと冷徹に「現実」を見据えるべきだ、などと思ってしまう。
でも、そこでハタと思うのである。
じゃあ、何故お前はその「現実」が正しいと判断するんだ?と。
よくよく考えれば、単にそういう教育、すなわち刷り込みを受けてきた結果ではないのか?と。
では、分別のついた年齢となって、キチンとその部分を「哲学」してみてはどうか!?と思ったのである。
もっと具体的に述べよう。
高校生の頃、自問自答した大いなるテーマ、「なんで生きてるの」。
当時、私が導き出した答えは、「死に方を見つけるため」である。
思えば、それこそが唯物論の上に立つ考え方ではなかろうか?
すなわち人は必ず死ぬし肉体と共に滅びる、これが唯一無二の絶対的真理だという考え方の上で物事を判断していたということである。
この本は、そこのところの基本的な部分で、「魂」は存在すると。
そして、「宇宙の法則」というものに触れている。
結果、「生きる」ということは、持って生まれた原石をさらに磨くことだと説いているのである。
それらをつらつら思うに、何をあくせく悩んだり画策したりしているのか!という心持ちになってくるのである。
そこがこれまでの自己啓発本とは大きく一線を画すところなのである。
すなわち、自己を磨く、そして他を幸せにする利他の心を持って、毎日を懸命に謙虚に生きることが肝要であると説いている。
それが心に沁みてくる。
そして、これまで如何に小手先の方法論のみで処世してきたかという大いなる反省の境地に立つのである。
勿論、そんなに簡単な話ではないだろう。
妬み、そねみ、羨望、恨み・・・
人の心はそうした負の部分も多い。
利他の精神などと、簡単に口にすれば、「また熱に浮かされて」と小馬鹿にされるのがオチだろう。
だから、それは心に秘するべきだろうが、それを理解したとき、何故この本だけが私に大いなるエモーションを与えたかという疑問が払拭されたのである。
その基本的な精神の上で自己の経営を考えたとき、単なるノウハウを超えたところでの工夫や判断が出来るということを私は判然と理解したのである。
因みにこの本、ひょんなことからその存在を知って、すぐに読みたいと思った。
そして、当地では大手の書店を、市内3箇所回ったがどこにもなかった。
どうやら出版社の関係のようである。
ネット通販で取り寄せたその本にあった案内が、月刊「致知」という書店には並ばないオピニョン誌?
この本は、そこに連載された記事をまとめたものだと知る。
もう創刊30年になるという。
全く知らなかった。
多分、これも邂逅なのだろう。
定期購読しようかと思っている・・・
そのどれもがそれなりの指針と刺激を与えてくれたことは間違いない。
ただ、感銘を受けるというのとは少し違っていた。
せいぜいが、参考になったという程度で留まったのである。
それが証拠に、「読み返す」ということをした本はほとんどない。
でもこの本は、常に手元に置いて、何度でも読み返したいと思った。
大袈裟に言うならば、宗教を持たずに過ごしてきた私の聖書となるかも知れない。
では、何故これまで読んできた本とそこまでの違いを感じたのかである。
そこを自分に問うてみた。
それには、自分が何故その類の本を欲するか?というところから辿るのが分かり易い。
一言でいえば、それは「成功」したいからではないか。
成功の「コツ」を探していたんだと思うのである。
ひとかどの人物たりたいという欲求と、利己心は紙一重である。
出来の悪い私は、如何に抜きんでるか、という欲求があったのではないか?
そして、そのための「考え方のノウハウ」を探していたのではないか?
これは、平たく言えば、利己的な「欲」である。
限りないもの、それは欲望・・・という歌があったが、正しく「欲」が求める動機ならば、次はもっと刺激を与えてくれるものがあるんじゃないかと、次々と新たなるものを求めてしまう。
とどのつまりは、いつまでたっても本当に感銘を受けることが出来ないというジレンマに陥るのである。
この本は、そこのところの基本的な疑問→思い違いに気づかさせてくれたような気がする。
もう少し具体的に述べよう。
その内容のほとんどは、これまで私が学んできた様々な本と共通する点が多い。
例えば、『引き寄せの法則』や『思考は現実化する』『ザ・シークレット』『マーフィーの法則』そして、『原因と結果の法則』等々。
それらは、「思い」が如何に大切か、そして、「潜在意識」の神秘を説く。
そして、行き着くところは、「宇宙の法則」や「サムシンググレート」となるのである。
「神」のごとき存在は、それをそう呼ぶかどうかは別として、確かに存在して、我々人間はそれに生かされているという考え方である。
唯物的な教育を受けてきた我々は、なかなかそこのところの「壁」を越えるのが難しい。
感情的には、そう考えた方が神秘的だし楽しい。
しかし、その考え方は「逃避行動」ではないか?とか、そうそう簡単に自己の「真理」をすげ替えていいものかという自己欺瞞が残る。
もっと冷徹に「現実」を見据えるべきだ、などと思ってしまう。
でも、そこでハタと思うのである。
じゃあ、何故お前はその「現実」が正しいと判断するんだ?と。
よくよく考えれば、単にそういう教育、すなわち刷り込みを受けてきた結果ではないのか?と。
では、分別のついた年齢となって、キチンとその部分を「哲学」してみてはどうか!?と思ったのである。
もっと具体的に述べよう。
高校生の頃、自問自答した大いなるテーマ、「なんで生きてるの」。
当時、私が導き出した答えは、「死に方を見つけるため」である。
思えば、それこそが唯物論の上に立つ考え方ではなかろうか?
すなわち人は必ず死ぬし肉体と共に滅びる、これが唯一無二の絶対的真理だという考え方の上で物事を判断していたということである。
この本は、そこのところの基本的な部分で、「魂」は存在すると。
そして、「宇宙の法則」というものに触れている。
結果、「生きる」ということは、持って生まれた原石をさらに磨くことだと説いているのである。
それらをつらつら思うに、何をあくせく悩んだり画策したりしているのか!という心持ちになってくるのである。
そこがこれまでの自己啓発本とは大きく一線を画すところなのである。
すなわち、自己を磨く、そして他を幸せにする利他の心を持って、毎日を懸命に謙虚に生きることが肝要であると説いている。
それが心に沁みてくる。
そして、これまで如何に小手先の方法論のみで処世してきたかという大いなる反省の境地に立つのである。
勿論、そんなに簡単な話ではないだろう。
妬み、そねみ、羨望、恨み・・・
人の心はそうした負の部分も多い。
利他の精神などと、簡単に口にすれば、「また熱に浮かされて」と小馬鹿にされるのがオチだろう。
だから、それは心に秘するべきだろうが、それを理解したとき、何故この本だけが私に大いなるエモーションを与えたかという疑問が払拭されたのである。
その基本的な精神の上で自己の経営を考えたとき、単なるノウハウを超えたところでの工夫や判断が出来るということを私は判然と理解したのである。
因みにこの本、ひょんなことからその存在を知って、すぐに読みたいと思った。
そして、当地では大手の書店を、市内3箇所回ったがどこにもなかった。
どうやら出版社の関係のようである。
ネット通販で取り寄せたその本にあった案内が、月刊「致知」という書店には並ばないオピニョン誌?
この本は、そこに連載された記事をまとめたものだと知る。
もう創刊30年になるという。
全く知らなかった。
多分、これも邂逅なのだろう。
定期購読しようかと思っている・・・
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昨年まで、地元の木鶏会の会長もやってました。
(酒屋を廃業した時に、会長は辞めましたけれど。)
でも、私は読んだことがありません・・・。