宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

細うで繁盛記

2019年05月16日 12時36分17秒 | TVのこと
 最近、BSプレミアムで再放送されている「おしん」を観ていて、思い出したドラマがある。
それは、「細うで繁盛記」。





か細い声で喋る新珠三千代に、「加代!おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!」という科白でお馴染みの冨士眞奈美が出演する、旅館を舞台にしたドラマだった。
大阪生まれの加代が、伊豆・熱川温泉の老舗旅館「山水館」の元に嫁ぎ、旅館を盛り立てていく物語。

脚本は、こうした商売根性もので知られる花登筺。


 放送された当時、私は小学生。
と思っていたが、ウィキによれば、どうやら中学1年の1月からのようだ。

小商いとはいえ、うちも商売家。
父がこのドラマを愉しみにしていた。

勿論、私も毎回観た。
なんと、家族全員(生まれたての末の弟は別として)でテレビの前に座って観たものだ。
後で感想を言い合ったりして。


 時代が違うと言われれば、それまでだが、あの頃の家族やテレビってそういうもんだった。
もう少し遡(さかのぼ)れば、鶏肉よりも鯨肉が安価な時代で、庶民にとって肉と言えば大抵鯨肉だった。
「けいにく」と「げいにく」、音は似てるが、全くの別物。
それが今や逆転、鯨肉は希少価値が出て高級食材となった。

たまにうっすい牛肉を焼いた時は、母親が「今晩はビフテキぞ」と囁き、我ら子供は「わ~いわ~い、ビフテキや~」とはしゃぐ。

そんな夜は、めったに使わないフォークとナイフが登場する。
それは勿論、買ったりしたものではなく、恐らくは、結婚式の引き出物として貰ったものだったろう。
昭和30年代と言えば、そんな、質素な時代だった。
そぅ、貧乏というのではなく、みんなが倹約な時代。

蠅がそこらじゅう飛んでて、食事時も、そいつを追い払いながら食べたものだ。
蠅叩きに蠅取り紙、これは平置きするものと天井からぶら下げるタイプの両方があった。




筒の先にロートがついていて、天井に止まった蠅を筒の下の水を張ったフラスコ様なものに落とす器具もあった。




虫除けの網を貼った食物保管庫を「蝿帳(はいちょう)」と呼んでいたことを先日ポカリと思い出した。
何故か、「ヤスオ、これ、はいちょうにしもといて」と言う母親の声を思い出した。
裏を取ろうと、ネットで調べてみたら、正しくその通りだった。
でも、「はいちょう」という語源が「蠅帳」だとは、それまで知らなかった。
もう50年余り昔の呼び名が、それこそ、ポワンと頭に浮かんだのである。
これは我ながら不思議な出来事だった




最近では、その蠅自体を見かけることの方が珍しくなった。
網戸という概念がまだ定着してなくて、夏の夜は蚊帳を吊って、その中で家族みんなで寝たものだ。



 閑話休題


 そういえば、「細うで繁盛記」のDVDはお目にかかったことがない。
その答えは、その後放送された同じ花登筺原作「どてらい奴」のウィキにあった。

以下引用

2013年、TBSのドラマ『半沢直樹』がヒットした際に本作を思い出させるとインターネット上で話題となり、DVD化が検討された。しかし、ビデオテープが高価かつ貴重で使い回しが当たり前だった時代の作品であり、関西テレビには第1話と最終話のビデオテープしか現存していなかった。その後、舞台になった山善でこのうち第7話から129話までの121回分を録画したUマチック方式のテープが発見され、東京のレトロエンタープライズの手によって修復・デジタル化が行われた[3]。関西テレビでは残る2 - 6話および130 - 180話の録画テープの提供を呼びかけた結果、埼玉県から第3話のベータマックステープが見つかった[4][5][6]。録画テープの提供呼びかけは続行されており、媒体不問、音声のみのカセットテープ等も対象である[7]。


以上引用



 ま、そんなことだろうとは思ってた。
天下のNHKですら、1970年代半ば頃までのものはほとんど残ってないそうだから。


 でも、それでいいのかも知れない。
例え、そのほとんどが記憶の彼方だとしても、あの頃の家族の思い出はしっかりと脳裏にある。

いかん、キーボードを叩きながら鼻の奥がツ~ンとしてきた。



 最近、こういうことが多い。

 歳のせいなんだろうなぁ・・・




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