昨晩のこと、知人との会話から「もりもとや」の名前が出てきた。
随分懐かしい店名で、もう20年くらいご無沙汰の筈だ。
それは、私が東京からUターンした30年前頃から、よく友人と出かけた居酒屋というか、大衆割烹というか、そんな飲み所である。
ざんき(鶏の唐揚げ)と、湯豆腐が好みだった。
特にここの湯豆腐が好きで、それは半丁ほどの豆腐がポン酢をダシで割ったようなタレの中に鎮座ましましていて、紅葉おろしとたっぷりのネギが乗っかった代物で、少し大きめの陶器の椀(フグザクに使われるもの)にレンゲを添えて出てくる。
これが燗酒の友にうってつけなので、行くと、季節を問わず必ず注文していたものだ。
その後結婚してからは少しペースが落ちたが、まだ「酒の宝島」が「河端酒店」という名で定休日もなかった頃、日曜の夕方、無性にその湯豆腐と燗酒をやりたくなって、こっそり一杯ひっかけに出かけたりしたものだ。
そんなことがポワンと頭に浮かんで、次にこんなシーンが出てきた。
多分私がまだ独身で25歳頃?
事の経緯は既に忘却の彼方だが、父と父の友人と私との3人でそこで飲んだことがあった。
その父の友人とは、隣町の土居にある酒屋さんで、T石さんという。
父がまだ、そのまた隣町である三島に居て、今はもうないが「初勢」という造り酒屋の番頭をしていた頃のお得意さんの息子さんなのだ。
父の弁によれば、営業に回っていた当時、そのお父上から可愛がられたそうで、それが縁で退職後もおつきあいが続いているということのようだ。
実際に我が家は、父が退職後独立して土居に転居し、その数年後当地新居浜に移ってきたのである。
今にして思えば、土居に移ったのはそのT石さんのお世話だったのかも知れない。
そんな関係でその息子さんとも友人関係が続いていたのだった。
そして何故か、そこへ私も参加して3人で飲んだという訳だ。
思い起こせば、父は飲みに出たときによく私に迎えに来させた。
当時はタクシー代をケチってるだけだと思っていたが、行くと必ず「ちょっと座れ」と言って、同席の仲間に私を紹介したものだ。
私は車を運転しているのだから飲む訳にはいかず、暫く大人しくしている外なかったので、正直鬱陶しかった。
しかし、あれは父が息子を仲間に見せたかった、もっと言えば自慢したかったのではないか?
実はついさっきまでこんなこと露程も考えてなかったのだが、こうして文章化していてそこに思い当たった。
閑話休題
3人で機嫌良く飲んで、タクシーで多喜浜駅までT石さんを送った帰り道、そのタクシーのドライバーさんが「ええ息子さんですねえ」と言うのを、「ほうかいねえ」と受ける父。
社交辞令としても嬉しかったのかも知れない。
考えてみれば、あの頃の私の年齢が現在私の長男のそれとほぼ同じ。
ということは?
私は、あの頃の父と同い年ということになる。
ええっーー
そんな歳になっちまったのか。
父が亡くなって8年が過ぎた。
ということは、私にお迎えがくるのもあっという間だなぁ。
こうして人は「死」を受け入れる準備をするのだろうか。
まだやり残したことがある。
死ぬのはそれからだ。
焦らず急げ!おまえ・・・
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