今年65歳になる私が国語として習った読み仮名の変遷が妙に気になる。
「既存」という単語を、少し前までアナウンサーが右へ倣えして発音したのが、「きぞん」だ。
私の学生時代、もし国語のテストでそう答えたらペケだった。
「既存」はきそん、「存命」はぞんめい。
そう、テストの問題になるくらい「存」という字の読み方は煩雑だった。
それがいつ頃からだろう、TVで堂々と「きぞん」と読むアナウンサーが増殖してきた。
さうさう、「依存」もそうだ。
私が習った読み方は「いぞん」、それに対して最近は「いそん」が幅を利かしておる。
一体なんなんだこれは。
右へ倣えして変わっていく様が変だ。
ということは、一人や二人の読み間違いではなく、何か大元のマニュアルが変わったのだろうという推測が立つ。
誰かが意図してコントロールしてるのか?
でも、私は自分の信じてきたものを変える気はなかった。
そいつが最近、またぞろ「きそん」に戻ったようだ。
今度は皆が「きそん」と発音し出した。
これは何かある。
勿論、言葉が変遷してゆくのは自然の摂理だということは理解している。
平安時代の言葉は、今では恐らく通じまい。
その上で抵抗したいのが、私という天邪鬼。
明治時代の仮名遣いが好きだ。
なので、「今日」と書かず「けふ」、「・・・しましょう」ではなく「・・・しませう」と書いたりする。
ま、洒落ですな。
しかし、洒落で済まないのが、基本的な文字の構成を理解せず、ただ耳に入った(と感じている)読み方通りの発音をする輩がいる。
例えば、「・・・せざるを得ない」という言葉、これは「致し方ない」という意味を含んだ言い回し。
こいつを「・・・せざるをおえない」または「・・・せざるおえない」と発音する人がかなりいる。
テレ朝のワイドショーで能書きを垂れるコメンテイター、敢えて名前は割愛するが、テレ朝職員のキミだよ。
も一つ上げれば「サドンデス」だ。
これは、読んで字の通り「突然の死」、転じて「その時点でゲームが終了するようなシステムのこと」を指す。
それを「サドンレス」と何度も発音してたのが、黒社会との繋がりを噂されて芸能界を引退した関西の芸人。
これなんぞも、単語の意味を理解してれば有り得ない例だ。
当時私は「あ~こわぁて誰もそこをよう指摘できんのやな」と思ったものだ。
これらとちょっと趣きが違うのが、外国語の読み方。
例えば、ロスチャイルド家(Rothschild)。
こう読めば、陰謀説が浮かんでくる、かの欧州の名門。
五大シャトーの一角であるシャトー・ムートン・ロートシルトは、その流れによるもの。
我が国では、その呼び方が一般的だが、それはドイツ語読み。
フランス語読みは「ロッチルド」で、「ロスチャイルド」は英語読み。
そう思うと、やはり言語に忠実であるべきかと。
その流れで気になるのが、「Beaujolais nouveau」だ。
これ、アルファベットをキチンと追うと、「ボージョレヌーヴォー」となる筈。
それが我が国では半世紀?「ボジョレーヌーボー」と呼ばれてきた。
ニュースでアナウンサーがそう発音するんだから世も末だ。
が、これもここ数年、漸く「ボージョレヌーヴォー」が主流になってきた。
さもありなん。
さうさう、事のついでに、「発音ではなく、単語の意味自体が崩れているな」と思うのがカレーの「ルー」だ。
ルー(フランス語: roux)は、小麦粉をバターで炒めて調理したもの。ルウとも表記される(品名では「ルウ」と表記)。
要するに、本格的に作る際のベース、転じてインスタントカレーのあの固形物を指すものである筈。
それなのに、TVのバラエティー番組などで、カレーソース自体を「ルウ」と呼んでいるシーンをよく見掛ける。
よく?いや軒並み?さう、私の見る限り100%だ。
ライスカレー、もしくはカレーライスのライス以外の物はカレーソースであって、ルウではないだろう!
「どうでもええやん、そないなこと」という声が聞こえてきた。
そうなんです、その「どうでもええこと」が気になるのが、私という偏屈なのです・・・
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