宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

危ないらしいよ

2025-01-11 10:32:05 | 徒然




 30年くらい前だったかな、東京で仲良くなった先輩が旅行の途中、新居浜に寄って、一晩一緒に呑んだ。
仮に西村さんとしよう。
西村さんとの出会いは、大学でもバイトでも仕事でもなく、東高円寺の埴生荘というアパートがきっかけ。
そこには、高校時代からのステディの親友(仮に篠原さんとしよう)が先に住んでいて、その関係で何度か訪問するうちに気に入って、後に自分も埴生荘の住人になった。
そして、篠原さんのいとこである先輩(仮に山本さんとしよう)の後輩が、西村さん(ややこしい)で、一つか二つ年上の、確か中央大学の学生だった。
山本さんは既に社会人で、その友人達も交えて、ちょっとしたグループ活動となった。

 西村さんは私のことを【やすおちゃん】と呼び、その呼び方や風貌から、ちょっと探偵物語に登場する成田三樹夫を彷彿とさせ、勿論、それよりはぐっと優しい風貌なんだけど、親しみやすく、仲良くしてもらった。
なので、その彼女も交えてのつきあいだった。
後に山本さんと篠原さんが六本木のマンションに引っ越す時には、私がレンタカーの2トントラックの運転もすれば、そこでのパーティーや、ロアビルにある【キャステル】とかいうディスコに行ったり、東京生活終盤のいい思い出になっている。








 西村さんは、都合二度、新居浜を訪れた。
最初はその山本さんと篠原さんの結婚披露宴に参列するためで、我が家に二泊した。

披露宴の前夜、四人で呑んだ。
当時よく利用した地下にある炉端焼きの店。
もう店名も覚えてないし、そこも今はもうない。







 披露宴の後、お二人が松山に宿泊して、翌日から新婚旅行に出るというので、ふじ結婚式場(当時はまだリーガロイヤルどころか、コープ会館すらなかった)の支配人が運転するマイクロバスに4人で乗って、見送った。
そう、西村さんと私はただ往復するだけのことで、帰着は夜中になる。
帰途、11号線沿いの(勿論、高速道路もまだない、しつこい?)ラーメン屋で、その支配人と三人で食事したりして。
ついでに上げれば、その支配人は、後に商工会議所青年部の先輩としておつきあいすることになる。



 と、ここからが本題。
西村さんは二度目の来新の折りには結婚して姓が変わっていた。
どうやら、望まれて、社長になったらしい。

そしてこう宣った。
「やすおちゃん、株はやったことある?」
「いやあ、全く興味がないですねえ」
「そう、凄く儲かるよ」
「そうなんですか」


 事実、当時の私は、大和証券で公社債投信を積み立てるくらいで、全く株に手を出す気はなかった。
もっと言えば、そういうのは虚業だと、否定していた。
当時はまだバブルが弾ける前だったから、確かに儲かっただろうな。


 でもね、危ないらしいよ。
あの頃の二の舞になるかも知れない。


>バブルの最後は、もはや理屈は関係なくなっている。
また、最強気のトレーダーだけが残っており(まともな人は降りている。あとは本当の素人、初心者、人に薦められて買っている人々だけである)、そして、彼らはバブルが崩壊しないうちにとことん稼ぎ尽くしておきたいという焦りで、最後は乱暴になるのである。






 その後西村さんが亡くなったと、癌だったと、山本さんが知らせてくれた。
もう10年余り前のことだ。

あの夜、今はもうない【メンバーズ】で「やすおちゃん一緒に歌おうや」と、【とんぼ】を熱唱してた姿は今でも瞼の裏に焼き付いている。


 なんだか、ちょこっと書き殴るつもりだった本文よりも、導入部に思わず力点が移ってしまった・・・






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