ようやく・八割の牡丹が開花しました・・・
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藤棚の藤も咲き出しました
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蕪村の画
○牡丹散て うちかさなりぬ ニ三片
蕪村論なんて、そんな”恐れ多い”ことを、もとから書くつもりはないが、
句を読んでいると極めて特徴的なことに気付く。
切り取った絵画的な空間の中に、いとも簡単に、時間を表現しているようだ。
簡単と見えるのは、実はそうでもないのかも知れない。
それにしても、牡丹が題材の句は多い。
○牡丹散てうちかさなりぬニ三片
○閻王の口や牡丹を吐んとす
○山中の相雪中のぼたん哉
○虹を吐てひらかんとする牡丹かな
代表作○牡丹散てうちかさなりぬニ三片 は、読み方に異説があることを知る。
・・散てを・・散って、と読むか、散りて、と読むか・・は蕪村が知人に宛てた手紙で、散りて、であることが顕かにされている。
ニ三片を・・ふたみひらと読むか、にさんぺん、と読むかも、議論のあるところ。
ここは、自然の流れで、にさんぺん、を支持したい。
この句の要は、”ぬ”の完了形がきいていて、牡丹の絵画的なるものが、時の流れを醸しだし、三次元的になっているのだろう。
”うちかさなりぬ”は、すごい、と思う。
さらに、絵画的空間は次の様に時間を共有する。
○菜の花や月は東に日は西に
○歩き歩き物おもふ春のゆくへかな
○春の海終日のたりのたり哉
菜の花畑は、恐らく広大な菜の花で埋め尽くされた畑だろうし、
歩き歩きの字余りは、それはそれで悠長な時の流れだろうし、 蕪村は”字余り”をよく使う。
他の句は説明を必要としない、 ゆっくりとした時の流れを感じさせる。
○春の海終日のたりのたり哉 は丹後の天橋立近くで作られたらしいが、
この地方は"与謝”と呼ばれ、のちに蕪村の号になった、という。
蕪村は、画家としては有名であったが、俳人としての評価は、後のことである。
絵画的で光に満ちた俳句を数多く書き残し、鮮明なイメージを言葉で喚起することに成功した。
蕪村の発句は芭蕉と異なり、思想性が表面に出ることはない。
しかしその言葉遣いは他に例を見ないほど洗練されており、彼は穏やかな情景をわずかに描写するだけで、
景色の背後に広がる永遠の時間を感じさせるという、天才的な言語感覚を発揮した。
後世に、蕪村の評価を定着させた人・・正岡子規、萩原朔太郎、安東次男。
蕪村の蟹の画
参考:子規の蕪村論 正岡子規 俳人蕪村 - 青空文庫
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