道の駅 あらかわ
「道の駅あらかわ」は奥秩父の荒川にあり自然に囲まれ、美味しいそばや四季折々の花が楽しめます。
周辺には、花ハス、水芭蕉、カタクリなどが時期には咲き、のどかな里山散策を楽しめます。
道の駅ではここでしか購入できない行者ニンニクがあり、人気。・・・これが道の駅あらかわのアピール文。
”そばがき”というものを食べたことのない人は、ここで経験するのも悪くないです。まあまあ・イケます。
道の駅あらかわは、国道140号上の道の駅。愛称は農園村役場。
道の駅の発祥の地。以前は道の駅荒川村でしたが、秩父市に合併したことから現在の名称に変更。
場所;秩父市荒川日野538番地1 電話;0494-54-0022
内容;駐車場・トイレ・公衆電話、食堂、地産物販売所など
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道の駅 両神温泉 薬師の湯
豊かな自然の中で、良質な温泉で静かに、ゆっくりとくつろぐことが出来ます。日帰り旅行者など、どなたでも気軽に利用ができ、心も身体もリフレソシュ。季飾の新鮮野菜や心が伝わる手作り工芸品が人気の、農林産物直売所もあります。・・・これが、ここのアピールポイント。・・”そばうち”が体験出来るようです。
裏山は両神国民休養地に指定されている四阿屋山・花しょうぶ園などがあり、都会の喧騒を忘れるのに最適な空間です。
ここの特徴は、なんと言っても温泉です。・・・・・源泉は地下600mより毎分280L、泉温24.3度で湧く冷鉱泉。フッ素とメタほう酸が温泉法規定値を満たすことから温泉認定となる。 低濃度ながらPh9.2のアルカリ値由来の、ほのかなツルッと感が温泉情緒を醸す。浴場は男女各内湯1つのみのシンプルな造りで、館内には食事処や休憩所が整う。・・・温泉の基準値を備えた鉱泉で、沸かし湯のようです。
場所;秩父郡小鹿野町両神薄2380番地 電話;0494-79-1533 (注意・火曜日休日)
内容;駐車場・トイレ・公衆電話、農産物販売所、食堂、温泉・・薬師の湯
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補足、秩父の「道の駅」・・・
秩父には道の駅がかなりあります。まずR140では、寄居方面から、道の駅皆野、道の駅秩父、道の駅あらかわ、道の駅大滝となります。R140は昔、甲斐秩父往還と呼ばれました。最近雁坂トンネル(有料)ができて車の往来が可能になっています。・・・最近秩父地方は、サイクルスポーツのメッカになって、三々五々の自転車隊が横行していますが、トンネルは歩行と自転車は通行禁止です、・・たぶん。R299(正丸街道)沿いには、道の駅横瀬、道の駅両神薬師温泉、道の駅龍勢会館があります。後の二つはR299から幾分ずれますが、合計7つの道の駅があります。あらためて数えてみると、秩父は車で回る人が多いのだろうと想像します。龍勢会館には、高校生大学生らしき2,30人の男子を見かけました。「あの花・・・」のアニメが、8月末に再放送され、映画が公開されたので、その関連でしょうね。好評と聞きます・・・
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追加・・・・・
平将門伝説
秩父平氏の誕生
初代の平将恒は、平忠頼と、平将門の娘・春姫との間に生まれ、武蔵国秩父郡を拠点として秩父氏を称した。将恒の父・忠頼は平将門の従兄弟で、将門と対立した平繁盛を仇敵と呼び、将門の娘を妻としたことからも、忠頼の父・良文は将門と親しかったと思われ、将恒の「将」の字も将門から名付けたと思われる。
将恒の子の秩父武基は、前九年の役に従軍して秩父別当に就任した。さらにその息子の秩父武綱は前九年の役で戦功を挙げた源有光の長女を妻とし、後三年の役の戦功で、秩父平氏は発展した。秩父重綱の代には、武蔵国国守の代理職を勤め、一族は大いに発展、秩父郡吉田郷に居館を構えて勢力を拡大した。その後、秩父氏の家督は、長男の血筋ではなく、次男の血筋(河越氏)が継承し、嫡流の河越氏を中心にして秩父党が形成された。秩父氏は、こうして、国内の武士を統率・動員する権限を持っていた。秩父平氏の一族は元皇族の血筋を武器に婚姻関係によって当地の豪族と結びつき、武蔵国各地に広がって多くの坂東武者を輩出した。
こうした背景を見ると、秩父平氏は”平将門”にかなりの”シンパシー”を抱いてたと思われる。直接の参軍は資料に見えないが、敗走の時に秩父平氏を頼った可能性はかなり高い。事実秩父には、将門伝説とその遺跡が幾つも残されているが、それは、平将門の一族郎党の敗走を、時が経ち、”一族郎党”の部分が淘汰されて、いつの間にか”平将門”のみになったのではないだろうか。歴史に、平将門の敗走ルートは、かなり明確で、秩父に来たという痕跡はなさそうである。
将門伝承1
【城山(熊倉城址)】旧荒川村大字呑だ熊
この地の城山は、将門の居城だったといわれています。この城で、桔梗の前が敵方に内通した疑いで惨殺されたと伝えられています。この城山に将門が籠っていたころ、将門の乳母が訪ねてきましたが、風邪を病んでなくなったといいます。乳母祠(おばっこ)と呼ばれ、婆神様として乳母の霊を祀ったといわれています。
・・・・・呑だ熊とは面白い地名です。たぶん、将門の部下の小隊長クラスの誰かだと・・
将門伝承2
【将門橋】旧荒川村日野
押手沢に架かる「将門橋」があります。古くからの橋ではないようで、この近くに「将門塚跡」があるのでこの名が付いたと思われます。この押手沢が、荒川に落ちるところが「将門の滝」になります。
・・・・・完全に後付の観光用です。橋は昭和あたりの建造物に見えます。
将門伝承3
【将門の滝】旧荒川村日野
荒川橋を途中まで渡ると、左手に押手沢から流れ出す「将門の滝」が見えてきます。落差30m。
・・・・・この滝も最近名付けられた滝だそうです。昔から無名で無視されていたのが、将門ブームで、名付けられたようです。
将門伝承4
【将門塚跡】旧荒川村日野
旧秩父往還と国道の丁字路の南に「将門塚」があったと思われます。この塚は、将門の墓、または武具を埋めた塚だといわれています。この塚は今はなくなっていて、「松葉区農村センター」や集会所の建物があります。
・・・・・将門軍の残兵が武器を隠すために埋めた可能性は、少しあります。
将門伝承5
【若御子神社】旧荒川村上田野
武州日野駅前を過ぎ、上田野地区のそば畑の中を歩きます。「千手観音堂」をすぎると「若御子神社」入り口です。この神社の説明板に、古くより武将達の崇敬が厚く、天慶年間、藤原秀郷が平将門を討伐の時、この社に戦勝を祈願したとあります。
将門伝承6
若御子断層洞】旧荒川村上田野
若御子神社の山手に「若御子断層洞」があり、この洞穴に戦いに敗れた将門が隠れていたと伝えられています。
【清雲寺】旧荒川村上田野
若御子神社の隣にあります。清雲寺は、境内にある樹齢600年といわれる枝垂れ桜は有名です。若御子神社と同じように、この寺の山裾に洞窟があり、将門一族が潜んでいたという伝えがあります。
・・・・・将門軍の敗残兵が潜んだ可能性はあります。
将門伝承7
【白久の自由山円通寺】旧荒川村白久
自由山円通寺。この寺の地蔵堂の地蔵尊は、将門が戦場に赴くさいに、常に従者に背負わせて、身辺に安置していたと語り継がれてきたといわれています。
・・・・・そういうことも、あるかも。
将門伝承8
【秩父札所30番法雲寺・将門の隠れ里】旧荒川村白久
法雲寺。この寺の奥院の近くにある洞窟は、「将門の隠れ里」といわれています。
・・・・・そういうことも、あるかも。
将門伝承9
円福寺(埼玉県秩父郡皆野町大字皆野293 新編武蔵風土記には将門開基とある。
日野沢谷の入り口、皆野町の椋神社の下にある円福寺墓地に平将平の墓地がある。
将平は石間村(吉田町)幡武山の城主である。将門は貞盛、秀郷によって討たれ、将平は源経基王によって滅ぼされた。将門は当地に一宇の伽藍を建立した。円福寺開基。その所以により、僧侶比丘は将平の遺骸を石間にもとめて、当寺に葬り墳墓を建てた
将門伝承10
城峯神社(埼玉県秩父市吉田石間4716)
将門が、この城峯山に籠もり、追討軍と最後の決戦をしたが、愛妾桔梗姫の裏切りにより最期を遂げたため城峯山中では現在でも桔梗の花は咲かないという。周辺には、門平、館跡、将門馬場、隠れ穴等、の地名も多い。新編武蔵風土記では弟がこの城に籠もり、ネズミの大群に武具が襲われそのあと秀郷に攻められたという。山頂直下に城峯山神社が鎮座している。社殿正面には「将門」と書かれた扁額が掲げられている。
将門伝承11
九十九神社(埼玉県秩父市大滝)
将門の妾桔梗姫は将門亡き後一族を連れてこの地まで逃れてきたが追手の探索に逃げられないと覚悟し自害した。将門の妾たち、家来、付き人たちが九十九人次々と自害したので、川は七日七晩血に染まった。それからこの川を大血川と呼ぶようになった。
将門伝承12
桔梗塚(埼玉県秩父市大滝大血川)
桔梗が自害した場所。幸島家(埼玉県秩父市中津川)大滝村落合は荒川と中津川の合流点で将門残党を追った追討軍は中津川から流れてきた大きなわらじをみて捕らえられたのが猿島一族でのち生き残った一族は幸島という名に変えて土着した。
のちに平賀源内が鉱山開発のため当家に立ち寄ったという。
将門伝承13
十二御前神社
腰之根の勝負沢で将門の残党と藤原秀郷が最後の戦いをした。将門の愛妾十二御前を中心とする一団が自害した場所が十二御前神社である。
・・・・・この説明に、いささか疑問を持っています。名前に十二を使うのは不自然です。素直に読めば十二人の御前(愛妾)です。敗残兵として逃れてきた時、十二人一緒というのも多少不自然だし、一緒の自決も不自然です。この神社には、なにか違う謂われがあるのではないでしょうか。