醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  757号  現代文学の課題について  白井一道

2018-06-11 12:17:15 | 日記


  現代文学の課題について


現代文学の課題を岩渕氏は小林多喜二の言葉を引いて「貧困を書くのではなく、いかに貧困であるのかを書くのだ」と主張した。
小林多喜二がどこでどのような文脈でこのように述べているのか、わからないが、貧困がいかにしてつくられているのかを書け、と言ってるのだと私は理解した。
多喜二が生きた明治末から大正時代の初めごろの文学の課題が貧困の問題であった。それから百年後の現代も貧困の問題が文学の課題になっている。資本主義という経済の仕組みは貧困の問題を基本的には解決することができない。
いかに貧困が高度に発達した資本主義国・日本で、いやアメリカ合衆国にあってもつくりだされているのか、この問題に文学はとりくまなくてはならないようだ。
現代日本の貧困に対して文学者が発した言葉の中で力を持った言葉の一つが「生きさせろ」だ。若手作家・雨宮処凛のルポの表題である。処凛は主張する。「無条件で生きさせろ」。労働意欲も旺盛な元気な若者がホームレスとなり、生きられない現実がある。この現実に対して人間すべてを無条件で生きさせろと主張する。この日本の現実はアメリカの現実でもあるし、世界の現実でもある。この現実がいかに、どのように、もっともらしくつくられていっているのかを表現することが現代文学に課せられている。
 憲法が保障する生存権が脅かされている。この生存権の実現が現代日本社会に課せられている。それはまた同時に現代文学の課題でもあるのだろう。多喜二が生きた時代には憲法が生存権を保障していなかった。主権在民、自由・平等を求める者に対して権力は剥き出しの暴力でもって弾圧したが現在はこのようなことはできない。現代の権力者たちは憲法二十五条が保障する生存権は実現すべき目標であって直ちに生活に困っている人々を救済できないことがあっても憲法に違反しないと主張して、生存権の実質的な実現を拒んでいる。
 資本主義という経済システムの下では財政上、生存権を保障する予算がないという理由で貧困を政府は解
決しようとしない。なぜなら生存権というものは抽象的な目標でしかないのだから直ちに実現しなくともよい。憲法に反するわけではないというのだ。
 われわれ国民の課題は生存権の保障という抽象的な政府の課題を具体的に実現する課題にしなければならない。だから憲法は次のようにも述べている。
日本国憲法第十二条は、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない、と述べている。
 国民は不断の努力によって生存権の保持を実現しなければならない。国民の生存権を実質的に実現する不断の努力の一環として文学もあるのだろう。
 今までのいつの時代も、社会も底辺に生きる弱者に社会の負担を背負わせようとする。強者は弱者に負担をしわ寄せし生き延びようとする。この実態を具体的な生活の場で表現し、訴えることが文学に課せられている。
 文学は弱者同士の協力や連帯を表現することによって権力者を弾劾しなければならない。

醸楽庵だより  756号  山形の酒「秀鳳」を楽しむ  白井一道

2018-06-10 12:44:25 | 日記


  山形の酒「秀鳳」を楽しむ



侘輔 今日のお酒はお馴染みの「秀鳳」ですよ。
呑助 山形のお酒でしたっけ。
侘助 そうそう、山形の名酒の一つであることは間違いないと思う。
呑助 今まで何回も「秀鳳」さんのお酒は飲んできましたよね。
侘助 やわらかで味に厚みがあって、口に含んだ時のふくらみが豊かなお酒なのかな。
呑助 これが山形のお酒なんですかね。
侘助 山形には美味しいお酒がたくさんあるからね。
呑助 「十四代」も山形ででしたっけ。
侘助 山形県村山市にある高木酒造のお酒かな。
呑助 「十四代」は一番人気のお酒なんじゃないですか。
侘助 そうかもしれないな。マスコミに載ったからね。もともとは「朝日鷹」という銘柄で出荷していたお酒なんだ。売れ行きが低迷していた時に十四代目の跡継ぎが醸した酒が「十四代」だった。このメーミングがヒットしたんだ。
呑助 銘柄のマスコミ受けが良かったんですかね。
侘助 お酒はイメージ商品ですからね。
呑助 味もイメージに左右されるんですかね。
侘助 そうなんじゃないかな。山形というと茨城と同じでなんとなくダサイイメージがあったから、この山形というイメージを払拭したのが、「十四代」のお酒だったのかもしれない。
呑助 新潟の酒というと美味しそうなイメージが確かにありますね。
侘助 そうだよね。今や、山形の酒は美味しい酒というイメージがあるよ。
呑助 「秀鳳」さんのお酒には美味しいというイメージがありますね。
侘助 今日、楽しむ酒は酒販店限定出荷のお酒なんだ。今年の新酒、酒造米「出羽燦々(でわさんさん)100%で醸したお酒、一升瓶で7000本造ったお酒、精米歩合、33%。販売価格が三千三百三十三円。燦々(さんさん)にこだわった酒らしいよ。
呑助 へぇー、面白いことにこだわった酒なんですね。
侘助 「出羽燦々」という酒造米は山形県農業試験場が十一年間かけてついに作り出した酒造好適米のようだ。この米は山田錦などと比べるとやや小ぶりで柔らかいので精米が特に難しい。
呑助 ゆっくり時間をかけて精米するということですか。
侘助 美味しいお酒を造るには時間がかかる。手間がかかる。精米や洗米などの原料処理が一番大切な工程だと聞いているよ。
呑助 飯米は米を研ぐと言いますよね。酒造りの場合は洗うんですか。
侘助 洗うようだよ。木綿の布地にお米を入れて二人して洗うようだ。山形の冷たい水に手を入れて洗うようだよ。本当に冷たい。真冬の米洗いだからね。吟醸酒用の米を洗う場合、米を洗う時間、浸漬する時間をストップウォッチで計っているようだからね。
呑助 どうしてそんなにまでしてやるんですかね。
侘助 浸漬というのは米に水を吸わせる工程なんだ。米の吸水率が多いか、少ないかでお酒の出来具合が違うようだ。
呑助 酒造りは大変なんですね。
侘助 「出羽燦々」という米は難しいらしい。






醸楽庵だより  755号  「肥前蔵心」を楽しむ  白井一道

2018-06-09 11:59:32 | 日記

 
  
    肥前蔵心を醸す山酒造さんの建屋

  名酒「肥前蔵心」を仲間と楽しむ

侘輔 今日のお酒は九州、佐賀県、矢野酒造さんが醸したお酒なんだ。
呑助 今まで佐賀県のお酒は初めてなんじゃないですかね。
侘助 そうかもしれない。佐賀県というと「窓之梅」という銘柄のお酒をいただいたことがあるかな。
呑助 九州というと焼酎というイメージがありますが、日本酒を醸している酒蔵があるんですね。
侘助 小さな蔵が多いようだ。どこの蔵も細々と経営している蔵が多いのじゃないのかな。
呑助 今日楽しむお酒の銘柄は、何ですか。
侘助 肥前蔵心(ひぜんくらごころ)という銘柄のお酒なんだ。
呑助 造りは
侘助 純米吟醸無濾過生原酒、季節商品のようだ。
呑助 季節商品というと酒販店を限定して販売するお酒だということなんですかね。
侘助 そのようだ。だから現在、この商品の在庫は蔵には一本もないらしい。すべて酒販店に売りつくしているようだ。
呑助 少しづつ首都圏で名が知られ始めてきているお酒なんですか。
侘助 坂長さんも問屋の試飲会で気に入り、仕入れするようになったお酒のようだ。坂長さん自身が「肥前蔵心」を買い求めている料飲店主と供に有明海を臨む佐賀県鹿島市にある矢野酒造さんを訪ね、酒造りを半日ほど手伝い、酒造り現場を体験してきているようだ。
呑助 家族で酒造りをしている蔵なんですね。
侘助 ネットに出ている写真を見ると戦前の日本の風景が偲ばれるような建物だ。県の有形文化財に指定されている蔵のようだよ。古い建物だから維持費が大変だと奥さんは話していた。
呑助 酒蔵はどこでもその地域の名望家ですからね。
侘助 今日楽しむお酒にはどのような酒蔵の心がこもっているんですかと、尋ねたところ、家族、蔵人全員が毎朝松尾大社から頂いたお札が上がった神棚に手を合わせ、酒造りができる幸せを感謝していると話していた。
呑助 酒造りは神様からの贈り物だと言う深い信心があるということなんですか。
侘助 毎年、京都嵐山、渡月橋を渡るとすぐ松尾大社がある。松尾大社は酒造りの神様だからね。酒蔵に行くとどこの酒蔵にも松尾大社を祀る神棚がある。
呑助 江戸時代から続く酒造りの伝統が守られているということなんですか。
侘助 戦前からの酒造りの道具を用い、手作りで酒を醸している。今は長男が跡を継ぎ、伝統を守り続けている。
呑助 手作りの味を賞味してほしいということですね。
侘助 酒造米は有名な山田錦、麹米も掛け米も全量山田錦。精米歩合は五十%。獺祭は精米歩合、五十%で大吟醸を名乗っている。それに比べて精米歩合、五十%で純米吟醸と言っている。良心的だと感じるな。
呑助 山田錦五十%の酒を今日は味わうんですね。
句郎 無濾過の酒だから、酒本来の味だ。生、火入れなしの酒。原酒、水で薄めていない。醸造量アルコールで薄めていない酒本来の味を今日は賞味しよう。県の有形文化財に指定された蔵の手作りの酒をじっくり味わって楽しもう。

醸楽庵だより  754号  野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす(芭蕉)  白井一道

2018-06-08 14:42:31 | 日記


  野を横に馬牽むけよほととぎす  芭蕉


句郎 芭蕉は那須の原で三句もホトトギスを詠んでいる。毎日、毎日ホトトギスの鳴き声を聞いて歩いていたのかなぁー。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が好きだったのじゃないかしら。
句郎 まず「田や麦や中にも夏時鳥、元禄二年孟夏七日」と俳諧書留に曾良は書いている。
華女 孟夏というのは何月のことなのかしら。
句郎 曾良旅日記によると旧暦の四月じゃないのかな。旅日記によると四月六日から九日まで雨止まずとある。この間、芭蕉たちは黒羽の翠桃宅に留まっていた。この時「田や麦や」の句を詠んでいる。
華女 旧暦の四月七日は今の暦でいうといつになるのかしら
句郎 五月二五日のようだよ。
華女 そろそろ梅雨の始まりね。蒸し蒸し、し始まる頃ね。
句郎 曾良の旅日記には「夏時鳥」と記している。この言葉を「夏のほとゝぎす」と「雪まろげ」という俳文の中では書いてる。また茂ゝ代草という俳文の中では「麦や田や中にも夏はほとゝぎす」と詠んでいる。句郎は「夏はほとゝぎす」と詠んだものがいいと思うけれども華女さんはどうかな。
華女 そうね。「夏は」だと夏が強調されるように感じるわ。「夏の」だとほとゝぎすに焦点が絞られるのかしらね。
句郎 雨が止み、黒羽を出て那須の篠原に向う。そこで「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」を詠む。この句を芭蕉は採り、「おくのほそ道」に載せる。自分が気に入った句なのだろう。
華女 私も「田や麦や」の句より「野を横に」の句の方が力があるように思うわ。
句郎 きっとそうなのだろうと句郎も思う。芭蕉と曾良の一行は那須の篠原から高久の宿に向う。そこで「落ちくるやたかくの宿の時鳥」を詠む。芭蕉はホトトギスの句を都合三句、詠んだ。珍しいことのようだ。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が本当に好きだったのよ。そうでなければ三句も続けざまに詠むはずがないと思うわ。
句郎 この三句の中で一番いいのはやはり「野を横に」の句かな。
華女 そうでしよう。「野を横に」の句が一番いいと私も思うけれどねぇ。
句郎 どこが他の二句と比べていいのかなー。
華女 そうね。いつだったか。加藤楸邨の書いたものを読んでいたら、「田や麦や」の句はなにか調子の渋滞が感じられる。生き生きしたものがないというようなことを書いていたように漠然と覚えているわ。
句郎 生き生きした溌剌さが感じられないということかな。
華女 そうなんじゃないかしら。
 言われてみればそういう感じがするでしょ。
句郎 それじゃ、「落ちくるや」の句はどうなの。
華女 高いところからホトトギスの声が落ちてくるというのでしょ。高久の宿の高くという言葉と高いところから落ちてくるという言葉が掛詞なっている。その言葉遊びを感じてしまう。ここがよくないと加藤楸邨は書いていたように思うわ。
句郎 華女さんは楸邨について詳しいね。
華女 そんなことないわ。昔、楸邨の弟子という人の教室に通っていたことがあるのよ。
句郎 へぇー。そこでどんなことを学んだの。
華女 昔のことだから、忘れちゃったわ。「柳より風来てそよと糸とんぼ」という楸邨の句を覚えているわ。これくらいかな。記憶に残っている句は。
句郎 「野を横に」の句は何がいいのかな。
華女 楸邨は「ますらおぶりのやさしさ」だと言っていたように思うわ。馬丁に乞われて詠んだ句でしょ。「馬牽むけよ」と「ますらおぶり」の「優しさ」がいいというのよ。



 「野を横に馬牽むけよほととぎす」。この句について次のような評釈を私は書いている。

句郎 「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』那須野で詠んだ句として知られている。名句だと言う人が大勢いるようなんだけど、どうかな。
華女 どこが名句だと言われる理由があるのか、ピンとこないというのが、私の実感かしらね。
句郎 僕も初めて読んだ時、そう思ったね。
華女 じぁー、今は違うのかしら。少しは分かってきたの。
句郎 うん、少しね。「ホトトギス」と云う百年以上出している俳誌があるでしょ。最も伝統のある俳誌だといってもいいんでしょ。何しろ、正岡子規、高濱虚子が培った近代俳句の金字塔のような俳誌なんでしよう。
華女 きっとそうなんでしよう。その中から現代に続く有名な俳人が続出しているんだから。
句郎 平安時代も芭蕉の頃も明治時代の俳人たちにも、ホトトギスという鳥には特別な思いが籠っているのじゃないかと思うんだ。
華女 そうなんだと思うわ。正岡子規の「子規」は「ほととぎす」と訓読できますからね。子規は確かにホトトギスへの格別な思いを持っていたのじゃないのかしら。
句郎 その思いを詠んだ名句の一つが「谺して山ほととぎすほしいまま」という句があるんだと思う。
華女 久女の有名な句ね。
句郎 平安時代から連綿として継承されてきたホトトギスの鳴き声が醸す美意識を杉田久女は詠んだのではないかと思う。
華女 ホトトギスの鳴き声を山全体の中に詠んだのよね。そうでしょ。
句郎 芭蕉が山形、山寺の静かさを蝉の鳴き声に詠んだのと同じようなことを詠んだのかな。
華女 少し違うと思うけど、通じるものはあるわ。
句郎 ホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが風雅なことなんだということを馬の轡をとる男に語りかけたのが「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」という句なのではないかと思っているんだけれど。どうかな。
華女 馬もあなたも私も今鳴いたホトトギスの声に耳を傾けて聞き惚れましょうということなの。
句郎 うーん。そうなんじゃないかなと思うんだ。短冊に句を所望されたんでしょ。芭蕉は馬の轡を取る男から。那須野の原に今、ホトトギスが鳴いた。こっちの方だった。馬の向きを変え、ホトトギスの鳴き声に耳をすましてみましょう。これが風雅ということですよと、芭蕉は即興で句を詠んだ。
華女 夏の那須野の原では何でもないホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが句を詠むということだったのね。
句郎 芭蕉もまた那須野の原でホトトギスの鳴き声を発見したんじゃないのかな。
華女 落葉樹の林の中に鳴くホトトギスに京や江戸で鳴くものでない新鮮さのようなものを感じたのかもしれないわね。
句郎 曾良の「八重撫子」の句は那須野に洗練された名を持つ子供の発見だった。芭蕉は那須野の原に洗練されたホトトギスの鳴き声を発見した。曾良の「八重撫子」の句があってこそ、芭蕉の「野を横に」の句が光り輝く。
 那須野の原を俳諧で曾良と芭蕉が表現したと安東次男は述べている。

醸楽庵だより  753号  夏山に足駄を拝む首途かな(芭蕉)  白井一道

2018-06-07 13:49:58 | 日記


  夏山に足駄を拝む首途かな  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな」。元禄二年。『奥の細道』にある句である。「修験光明寺と云ふ有り。そこにまぬかれて行者堂を拝す」と書きこの句を『おくのほそ道』に載せている。
華女 『おくのほそ道』のどこで詠んでいる句なのかしら。
句郎 黒羽の館代浄坊寺何がしの方に訪れて、とあるから「黒羽」で詠んだ句なまじゃないのかな。
華女 栃木県大田原市黒羽でいいのかしら。
句郎 芭蕉さんのお陰で大田原の観光名所になっているよ。
華女 『おくのほそ道』途上の芭蕉宿泊地は今やその地の観光名所になっているのね。
句郎 芭蕉はたくさんの財産を今の世に残したということなのかな。
華女 『おくのほそ道』はそれだけ今を生きる人々に読まれ続けているということなのかもしれないわね。
句郎 なにしろ高校の国語の授業で学ぶんだからね。
華女 文化遺産は同時に観光資源ということなのよね。
句郎 この観光資源としてのこの句を観光してみたいと思うんだ。
華女 俳句は季語を詠む文芸だと日文科の先生から教わったような記憶があるけれどもこの句は季語「夏山」を詠んでいないわね。「首途」を詠んでいるのよね。
句郎 この句の発案は曾良の『俳諧書留』にある句のようだ。「黒羽光明寺行者堂」と前詞を置き、「夏山や首途を拝む高あしだ」とあるから、芭蕉は季語「夏山」を詠んでいるが推敲した結果、『おくのほそ道』には、「首途」の気持ちを詠んた。
華女 芭蕉の句は文学になっているということなのね。
句郎 そう、文学は人間を表現するものだからね。
華女 「足駄」とは、草履のようなものなのかしら。
句郎 「足駄」とは、高下駄のようだよ。
華女 朴歯のようなものが足駄なの。
句郎 修験道の祖だと言われている役行者、役小角(えんのおづの)は高下駄、足駄を履いて険しい山道を駆け抜け、修行したという伝説があるんだ。
華女 そういえば、昔の板前さんは一本歯の下駄を履いていたわ。私、昔、実際一本歯の下駄を履いて働いている板前さんを見たことがあるわ。
句郎 長靴を履いて働く板前さんより、一本歯の高い下駄を履いて働く板前さんの方が恰好がいいかもしれないな。
華女 長靴じゃ水虫に苦しめられるんじゃないのかしら。
句郎 私が高校生だったころ、通学に朴歯を履いて通ってくる人がいたのを覚えているよ。昔の旧制中学生は朴歯を履いていたらしいからね。
華女 私も見たことがあるわ。
句郎 芭蕉は関東平野のすそ野、夏山が間近に見えるところまで来てあらためて陸奥平泉に行く決意をしたんじゃないのかな。
華女 義経最期の地、平泉へ行きたいという思いを心にちかったということなのね。
句郎 旅の基本は足だからね。夏山を旅する安全を祈願し、思いが実現することを願ったんだろう。
華女 役行者が履いたと伝えられている足駄を拝み、旅立ったということね。