千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

ふなうた

2019年02月02日 | 千曲川のくらし
その岡を東にめぐる千曲川茨野におこる欸乃のこゑ  太田水穂

随分難しい字を遣うものですが、欸乃はアイダイと読んで「舟歌」の意味なのだそうです。ここではフナウタと訓ずるのでしょう。
現在の千曲川は水量も多くなく、橋ありダムありで船の運航はできません。しかし昔は通船があって利用されていました。江戸時代に、越後の年貢米を江戸に運ぶルートとして千曲川水運の企図があったのですが、難所が多くてうまくゆかず、運行できたのは一部分だけでした。北信濃では飯山・須坂間を結んだ太右衛門船、松代藩の藩営船、善光寺町の厚連船などが就航し、主として米と塩を運んでいました。
明治になると民間の通船会社ができて飯山から上田の間で営業しましたが、明治21年に信越線が開通してからは次第に衰退してしまいました。島崎藤村「千曲川のスケッチ」には、藤村が豊野から飯山まで川船で旅したことが記されています。明治の末のことです。
水穂の唄は明治30年代の作。その頃の情景は想像してみるしかありません。

昭和の俳人に

春障子千曲欸乃満たしたる  加倉井秋を

という句があり、おそらく水穂の歌を意識して詠まれているのでしょう。
この作者も「千曲川の舟歌」を聞いたのでしょうから、今でも伝承されているものかも知れません。しかし私は地元にいながら寡聞にして知らないので、ご紹介できず残念です。





以前は川漁師さんが舟から投網を打ったりしていましたが、近頃ではとんと見掛けません。川舟はみな陸にあげられたままのようです。


溜まった水に氷が張っています。



捨舟のうちそとこほる入江かな 凡兆


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