[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

オシムの言葉

2006-08-08 | サッカー最前線

オシム・ジャパンが始動し始めた。

先日、オシムを密着取材した番組を見た。
とても興味深い番組だった。

       イビチャ・オシム 65歳(ボスニア出身)
       母国語の他にドイツ語 フランス語 英語を操る。
       好きな食べ物 : 焼き魚 デコポン
       趣味 : 料理 大相撲観戦

彼のこれまでのサッカー人生はというと、

18歳 ゼレツニカール・サラエボとプロ契約。ポジションはFW。
    華麗なドリブルテクニックとチャンスを逃さない決定力。
    すぐに地元ボスニアのスター選手になり、やがてその名はユーゴスラビア全土に知れ渡った。
23歳 東京五輪にユーゴスラビア代表として来日。日本戦では2得点をあげる。
28歳 世界選抜メンバーとして、ペレとも戦った。
29歳 ユーゴからフランスリーグへ移籍
37歳 現役生活を引退。
    現役通算85得点 イエローカードは一度も受けていない。
1990年 ユーゴスラビア代表の監督となった。(当時49歳)
            5つの民族、4つの言語、3つの宗教
            「モザイク国家」と言われたユーゴスラビアの代表メンバーを見事に束ね上げた。
    1990年イタリアワールドカップでは、 ユーゴスラビアをベスト8に導いた。
    国中が歓喜の渦に包まれ、彼はヒーローとなった。

番組の中でのインタビューで、数多く印象に残るものがあった。
以下は、私の印象に強く残ったインタビュー内容です。

監督としての信念・信条は?

  そもそも私は監督と呼ばれるのが 嫌いだ。
  私の国では監督をトレーナーと言うが、もともとの意味は調教師だ。
  馬などの動物に芸を教える調教師がサーカスにいるだろう。
  私は調教師ではない。言うならば教師だ。
  サッカーの基本や人生の基本を選手たちには教えている。
  強制と教育。そこが違う。
  もし強制する場合には、理由と効果を説明することが大切だと思っている。

なぜ 走ることを重要視するのか?

  逆に教えてほしい。
  走らないでプレーできるサッカーとは どんなサッカーなんだ?
  手で動かすゲームだって人形を走らせるだろう。

もし 監督になっていなかったら?

  教師になりたかった。
  数学が好きで、数学の教授になるのが夢だった。

監督として自信がある能力は?

  重要なのは自信ではない。他人の評価だ。
  自分自身を正しく見つめるのは難しい。
  だから自信など持たずに 足りないものが何かを知るべきだ。
  鏡に自分を映して ありのままの自分を受け入れたほうがいい。
  鏡が歪んでいるときに それを指摘してくれる友人も必要だがね。

とにかく、一言一言に知性と情熱を感じさせる人物だ。
私自身、「ああ…、おっしゃるとおり、自分もそうあらねば!」
というようにしみじみと噛み締めるべきこともあった。
学ぶべきことが多かった…。



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