今回も石川洋さんのお話です。
「人生逃げ場なし」という言葉は、自分を正すために心に刻んできた言葉の一つなんですが、私はそんなに強い人間ではございませんので、逃げたくなる時もある。
どこかに逃げ場がないかと追い求めてきた一人の人間でもあります。
と石川さんは言う。
勝手に思うままに66 人生逃げ場なし
私は17歳の時に一燈園の西田天香さんとのご縁をいただいて、最後の弟子としてお仕えをさせていただき、生涯を下坐行に捧げることにいたしました。
ところが7、8年たって原因の分からない病気にかかりまして、ものを食べてもほとんど喉を通らなくなったんです。
最後には流動食も入らなくなり、先輩のお許しをいただいて実家の母の元に帰ったのです。天香さんは、講演で実家の近くまで来られた時に、お見舞いに立ち寄ってくださいました。
寝ている私のそばにお座りになって、母親に「洋さんの容態はいかがですか」と聞いてくださいました。
母はきっと、疲れて帰ってきましたなどと、私に対する慰めの思いを込めて天香さんに
報告してくれるだろうと思って聞いておりました。
ところが、母の口から出た言葉は全然違ったんですね。「私の息子は神経衰弱でございます」と答えたんです。耳を疑いました。
私は神経衰弱などではないのに、どうして母はそんなことを言うのか。
師匠の前で問いただすこともできずに、私は黙って横になっていました。
天香さんはそれを聞くと、「早く元気になって戻ってきなさいよ」と言って帰っていかれました。
私は天香さんが帰られてから母に、「なぜ私を神経衰弱だと言ったのですか」
と聞きました。しかし、いくら聞いても答えてくれません。でも、とうとう重い口を開いて言うことには、「私はあなたを生んで、体は育てることができたけれど、心を育てることはできなかった。そのあなたの心を育ててくださっている師匠は私の師匠。そのお師匠の前で、息子は疲れて帰ってきたと言えますか」
と。私は、布団をかぶって涙がかれるくらい泣きました。
悲しい涙でもなけりゃ、辛い涙でもない。母親の心情を思うと、涙が止まらなかったんです。
天香さんは、この子はこれからどうするかと見に来ているわけです。
園に戻るのか、母親の情にほだされて実家に落ち着くのか、真剣勝負で私を見ている。
その厳しい空気を察して、神経衰弱だと一刀両断のもとに叩き切った母のすごさ。
私は病気が治るかどうかも関係なしに一燈園に帰らせていただきました。
すごい母だと思いました。
でも、私を叩き出しながら、その後ろで母はきっと泣いていたんですね。
その涙が分かるようになったのは、私に子どもができてからですけれども。
だから人生逃げ場なし、逃げたらあかんというのは、私にとってはギリギリの言葉なんです。
天香さんとの師と弟子の心の闘いです。
実家に落ち着いてダメになるか、親を捨てて下坐に生きるという志を貫けるか。
その迷いを断ち切ってくれたのは母でした。
「人生逃げ場なし」という言葉は、自分を正すために心に刻んできた言葉の一つなんですが、私はそんなに強い人間ではございませんので、逃げたくなる時もある。
どこかに逃げ場がないかと追い求めてきた一人の人間でもあります。
と石川さんは言う。
勝手に思うままに66 人生逃げ場なし
私は17歳の時に一燈園の西田天香さんとのご縁をいただいて、最後の弟子としてお仕えをさせていただき、生涯を下坐行に捧げることにいたしました。
ところが7、8年たって原因の分からない病気にかかりまして、ものを食べてもほとんど喉を通らなくなったんです。
最後には流動食も入らなくなり、先輩のお許しをいただいて実家の母の元に帰ったのです。天香さんは、講演で実家の近くまで来られた時に、お見舞いに立ち寄ってくださいました。
寝ている私のそばにお座りになって、母親に「洋さんの容態はいかがですか」と聞いてくださいました。
母はきっと、疲れて帰ってきましたなどと、私に対する慰めの思いを込めて天香さんに
報告してくれるだろうと思って聞いておりました。
ところが、母の口から出た言葉は全然違ったんですね。「私の息子は神経衰弱でございます」と答えたんです。耳を疑いました。
私は神経衰弱などではないのに、どうして母はそんなことを言うのか。
師匠の前で問いただすこともできずに、私は黙って横になっていました。
天香さんはそれを聞くと、「早く元気になって戻ってきなさいよ」と言って帰っていかれました。
私は天香さんが帰られてから母に、「なぜ私を神経衰弱だと言ったのですか」
と聞きました。しかし、いくら聞いても答えてくれません。でも、とうとう重い口を開いて言うことには、「私はあなたを生んで、体は育てることができたけれど、心を育てることはできなかった。そのあなたの心を育ててくださっている師匠は私の師匠。そのお師匠の前で、息子は疲れて帰ってきたと言えますか」
と。私は、布団をかぶって涙がかれるくらい泣きました。
悲しい涙でもなけりゃ、辛い涙でもない。母親の心情を思うと、涙が止まらなかったんです。
天香さんは、この子はこれからどうするかと見に来ているわけです。
園に戻るのか、母親の情にほだされて実家に落ち着くのか、真剣勝負で私を見ている。
その厳しい空気を察して、神経衰弱だと一刀両断のもとに叩き切った母のすごさ。
私は病気が治るかどうかも関係なしに一燈園に帰らせていただきました。
すごい母だと思いました。
でも、私を叩き出しながら、その後ろで母はきっと泣いていたんですね。
その涙が分かるようになったのは、私に子どもができてからですけれども。
だから人生逃げ場なし、逃げたらあかんというのは、私にとってはギリギリの言葉なんです。
天香さんとの師と弟子の心の闘いです。
実家に落ち着いてダメになるか、親を捨てて下坐に生きるという志を貫けるか。
その迷いを断ち切ってくれたのは母でした。