猛暑日が続く年です。驚いたことに、これとほぼ同じ気温が82年前の8月に名古屋市内でも記録されていたそうです。当時は冷房はありませんが、日本家屋は風通しを良くした作りで、蚊帳を使って虫をよけ、家の敷地内に木を植えて日陰を作り、井戸水を打ち水にしたりと工夫をし、なんとか乗り切ったそうです。現代では冷房がない生活が考えられません。しかし、森林の中は太陽の光が木々にさえぎられ、真夏の日中でも涼しく快適ですので、私たちは週に一度は車で森の傍まで行き、森を一時間程歩きます。
地球には、砂漠地帯のような年中酷暑の場所に住む民族もいます。古来からベドウィンなどの遊牧民は砂漠に点在するオアシスを利用し、ラクダ・羊の放牧や売買を営みながら、テントで移動生活をしています。現代は定住化する人が増え、その人口は減っているそうです。そのベドウィンの話に関連し、ハガルという女性の話が聖書に記されています。彼女はエジプト人で、古代イスラエル民族の祖先のアブラハムの妻、サラの奴隷として雇われました。神様がアブラハムとサラに子を授けると約束しましたが、高齢のサラはそれを待ちきれず、自分の代わりにハガルに夫と子供を作らせ、自分の子とすると提案しました。いざ神様の約束どおりにサラが子を授かると、彼女はハガルとその子イシュマエルを追い出すようアブラハムに要求し、哀れなハガルは息子と二人っきりで砂漠に追い出されました。ハガルが苦しんで泣いていると、天から神のみ使いが呼びかけ、井戸を見つけさせ二人を助けたというストーリです。この親子は砂漠に住み、イシュマエルから12部族の民族が生まれました。
聖書の本筋はイエス・キリストの祖先となるアブラハムとサラのストーリーですが、今回ハガルにあえて着目したのは、神様は弱い者の叫びをこの世界中のどこでも聞き逃さない方であると今一度気づかされたからです。そして、目の前にあっても、様々な事情や思いで覆いかぶされて見えなくなっている必要なもの、つまり神様のキリストに示される愛を、その人の目を開いて見せて下さります。ハガルがこの時神様への信仰を持っていたどうかは記されていませんが、虐げられ、悲しみに叫んで泣いていました。神様は、その人に信仰があってもなくても、全ての人の叫びを聞き、かわいそうに思って、助けて下さる、慈愛の方であります。その究極が、ご自身の御子イエス様を全ての人が救われるために、十字架で死なせ、復活させた出来事に現わされます。
今、戦争により生死の狭間におかれている状況、家庭内暴力、学校でのいじめ、会社でのハラスメント、多くの人々が神様を知らずに苦しみ、叫んでいます。これらの人々の声を神様が聞いて下さっていることを信じ、その方々のために祈り続けたいと思います。神様を信じることによる解放、救い、すばらしさ、そして神様にすべてを信頼し、委ねて生きることが出来ることを「知る」ことが出来るように祈りたいと思います。私たちは、明日についてどうなるかわからないので、思い煩ってもかえって心が病みます。むしろ、神様がなんとかしてくださるとすべて委ねて、神様に信頼しつつ、今生かされていることの感謝の祈りを日々ささげたいと思います。
「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。 神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。」(創世記21章19-20節)
(引用 新共同訳聖書)