四苦八苦奮闘記

日常、アート、僕の奮闘劇、思うことなど。

わかりません

2011年03月17日 18時46分58秒 | 学校な話
すみません。

一日休んだら考えのドツボにハマってしまいました。
気持ちが沈んでる方は読まない方が良いと思います。









昨日まではなんとか行きは電車で行けたものの、帰りは途中まで送っていただいてそれからは家まで歩いて帰ってくるのを続けていましたが、今日はとうとう到着が夕方頃になることを知り、休みを取って自宅待機しています。

今日から来られる生徒の通学が始まりました。

おそらく全体の半分近くの生徒が来ているはずなのに、教師がいないなんて情けなくて、歯痒くて、今頑張っている人たちに申し訳ない思いで一杯です。

車で学校に行っている方も「ガソリンがない」と言っています。

みんな、トラックやバスに燃料を供給しなくてはいけないことはわかっていても、来なければならず、帰らなくてはならない現状をどうにもできない。

学校に希望者は泊まらせるか、帰れる時間まで待たせてくれるならまだしも、電車が動いていない時間に早く帰ってくれと言われてしまう。

そうなると、なんとか行きは電車で行けたとしても帰りは誰かのお世話になり、車を使う。

悪循環な気がしてならない。

教師も生徒も今の状態では学校に来ない方が様々な面から考えれば、本当は良いのではないか。

被災地よりも少しの余裕があるからこそ、本当に必要なことが見過ごされているのではないか。

この状態、状況が本当に最善策なのか、僕にはわかりません。

確かに今、どこにいても安全で心配がないところなんてないかもしれない。

僕が考えている以上に生徒は学校に来たいのかもしれない。

でも、学校を開く意義が本当にあるのかわかりません。





僕だったら、友達にも会いたいし、学校にも行きたいけど、現状を考えたら、それ以上にじっとしていたい。

人が動けば、当たり前にエネルギーを消費する。

この現状の「非常レベル」はそれすらも「惜しい」と思っていてちょうど良いレベルなのではないのか。

今の状態で学校を開くことが今も必死に闘ってくれている方々のため、被災者のため、生徒たちのために、自分たちができる最善最良の策ではないのではないか。



そう思います。



子どもに学校に行くなと言っているわけではありません。

この非常時につまらない言い合いはしたくないので、非難的なコメントは削除させていただきます。
すみません。





気持ちの口直しに、画像は僕のポストカードのコレクションの中より
「みんなの願いが叶いますように」と言う思いを込めて

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