カメラを片手に

正暦寺の紅葉、山の辺の道・奈良道Ⅵ

日付が変わる深夜の2℃台から気温が上がり始め、風もなく曇り空の朝だが、
昼前からは日差しも届き、最高気温は14.0℃迄上がった。
      11時、10.2℃、77%

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花と花言葉
誕生日の花はモクセイ科の「ヒイラギ、柊・疼木・柊木 」、
      

漢字では木に冬で「柊」、冬の訪れを示すように、優しい甘い香りを漂わせ
ながら咲きますね。同じモクセイ科のキンモクセイと違い顔を近づけないと
味わえないが、よく似た花は白く4裂し、花びらの先が反り返り、花から
雄しべが飛び出しているのが特徴です。
      

花言葉は、とげ状の葉から「用心」、優しい香りから「歓迎

山の辺の道・奈良道Ⅵ以後は、圓照寺から正暦寺そして弘仁寺へ

圓照寺紅葉を愉しみ、参道を少し戻れば寺域を示す木の門の前、右側に石段
「西圀三十三箇所霊場」の石碑があり、東海道自然歩道の一部、奥に屋根が
      

駆け上がれば手水舎で 

この道の先、右側に入り口

人気のない境内、紅葉が彩りを添えますが、我の息使いと足音が響き、
大師堂 西圀三十三箇所霊場石仏」で、手を合わせました。
真ん中は大師堂で、東側に西国三十三霊場各寺の御詠歌を刻んだ石柱33本と、

西側には三十六体のお地蔵様が並ばれている。
一人ではこの視線に耐えられないほどの圧力を感じられる。


南へと下ると、途中に左側に岡山稲荷大明神の祠がある。
監視カメラの文言と、雰囲気にまけ、怖気付き神前迄足が・・・
      

石段を飛ぶように下りれば道に突き当たり、岡山稲荷大明神の一の鳥居だ。
      

走路に横には農業用の大川池(別名は竜王池)、そして池の中に島がある。
鳥居が見え「弁財天社」が祀られている。
実は「大川池塚古墳」という古墳時代の直径4mの円墳になり、円墳の外側を
広げて、池が造られた。近くの竹やぶから42㎝の銅鐸が出土している。
      

ここから東に正暦寺へのハイキング道、道沿いに古墳が五つ並べば、南側に

横穴式石室を持つ「五つ塚古墳」という。一・三・五号墳は円墳で六世紀末、二・四号墳は方墳で、7世紀の築造で、この辺りに多い群衆墳の一つ。
      

山麓に通じる小径の中からお墓が見えれば宮内庁管理の「圓照寺宮墓」です。
かつての「山村廃寺」の境内?、「圓照寺墓山古墳群」もある。


東海自然歩道は右へ折れる。

自動車道が尽きる付近に「とようけのもり」があり、そして軽四が通れる
地道に変わる。その手前にお地蔵さま、守ってくださるようだ。
      

峠まで上れば、とたんい山道になる。結構な下りで、10分ほどで正暦寺です。
      

正暦寺への分岐点

100mで正暦寺に一番近い一般駐車場への橋があり、田原への道も続く。


菩提仙川沿いの正暦寺の紅葉は、終わりかけでした。


正暦寺」は菩提山龍華樹院と号し、992年関白九条兼家の創建と伝えられる
盛時には86もの僧坊があった。
1180年平家の南都攻めで炎上するも1218年に再建された。
興福寺大乗院の別所として継承され、室町時代に清酒「僧坊酒」を醸造し、
経済的にも潤っていたが、江戸期への移行による政策で荒廃が進んだ。
明治には本堂と福寿院のみとなるが、1681年建築の客殿(重要文化財)、
平安時代の秘仏・薬師如来倚像(重文)がある。

更に「日本清酒発祥之地」と「菩提酛創醸地」の碑が示す通り、室町時代の
僧坊酒が三段仕込み、菩提酛と南都諸白の近代醸造法の基礎となる酒造技術 
が確立されている。
現在も1月の厳冬期に酒母「菩提酛」を当寺で造り、奈良県の8つの蔵元で
醸造されている。

拝観をするつもりであったが、以前い頂いた拝観券を忘れ、800円も出すのは
躊躇し、午後4時迄に帰りたいので・・・紅葉の写真だけ急いで撮りました。
古来より鮮やかな紅葉で『錦の里』と呼ばれる通り、紅葉の名所です。
もう一週間早ければ・・・・・客殿沿いの紅葉です。

本堂への階段から望む紅葉
      

午後3時頃もう谷には夕日が差し込んできた。
      

次回は拝観券を持ってこなければ。
 

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