年下の友達のFacebookの投稿から、ふと音楽概論の話になった。
僕の専門は80年代のニューウェーブ。
P-modelが大好き。平沢進のファンクラブに入っている。
で音楽って発明と消費の繰り返しなんじゃないかな、と思う訳。
「はっぴいえんど」が日本語ロックを確立し、「キャロル」が日本語と英語を混合で楽曲を作ったのが70年代。
その大発明は、すぐさま商業音楽の中で消費される。
その間に録音技術や音楽機材の技術革新により、高い演奏能力、歌唱力よりも、アイデアや個性が直結出来るようになり始めたのが80年代。
まあ、僕が生まれた位の時ね。
消費されたロックを取り戻すべく、80年代のサブカルチャーは新しい音楽を発明するんだな。
それがテクノポップ。
電子音を基調にしているイメージがあるが、どちらかというと「減音」というのがむしろ本質のように思う。
同時に鳴らせる音数を減らした、という事。
ギターはコードバッキングよりも単音リフ。
通常使わないような不安定なコード進行。
先に消費されてしまった音楽を弔う為なのか、さまざまな音楽的実験を試したのが80年代なのだと思う。
その代表格がYMOであるのだが、彼らはしれっと歌謡曲にもコミットするという芸当を見せた訳で、それ自体は功罪共にあるように思う。
で新しかったはずのテクノポップは、先のロックと同様にあっさりとスタイルを消費されるようになった、と後年のインタビューで平沢進は語っていた。
音楽ビジネスの歴史はサブカルチャーをいかに食いつぶすかの繰り返しだった。
その結果、今どうなったかな。
パターンのデータベース化により、正に音楽は創作物から工業製品になった。
工業製品は意匠で売る。
工業化した音楽を商品にする為には、歌う人を選定する。売れる人に歌ってもらう。
結果、昨年のヒットチャートはAKB48グループとジャニーズが席巻した。
次点につくセカオワとかいうバンドは、ボコーダを多用してボーカル音を演出する事で、耳障り…、いや分かりやすい刺激を提供して売っている。
そんな訳で作曲家や作詞家の中に職人も芸術家もいなくなった。
必要とされないからだ。
僕はそれが悲しい訳です。
もっと細かく書きたいが、またいずれ。
それか、飲み屋で語ろう!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます