新型コロナの猛威がようやくピークを越えようとしている。しかし、新型コロナウィルスのもたらしたダメージは甚大であり、損傷した経済の立て直しに要する経費は今後うなぎ登りに増嵩するであろう。
政府は、国民一人当たり一律10万円給付を手始めに、事業者に対する持続化給付金(法人200万円、個人100万円)、従業員の雇用を維持する事業主への雇用調整助成金(一人1日8,330円)、小学校等の臨時休校に伴い労働者に有給休暇を認めた事業主(労働者一人1日上限8,330円)や仕事ができなくなった個人(フリーランス1日上限4,100円)に対する休業補償等々の実施を決定している。また、東京や大阪などの地方公共団体においても、地域の実情に応じて感染防止協力金支給等の事業を行おうとしている。
こうした国および地方公共団体が行う支援事業に要する財源は、いったい誰が負担するのか。コロナ対策に熱心な政党や政治家、そして政府の対応に関し声高に非難しているマスコミも、口を噤んで何も言おうとしていないが、答えは単純明快、我々一般国民が税金という形で負担するしかないのである。筆者は、コロナ対策にかかわる事業の実施、そしてその財源負担という二つの局面において、壮大かつ不公平な所得移転が行われることを危惧している。
我が国の税制度を揶揄する言葉に「十五三(とうごさん)」というのがある。サラリーマンは所得の10割に税金がかけられるが、自営業者は所得の5割、農家は所得の3割にしか税金がかけられていないという意味である(これは甘い見方で、実際の格差はもっと大きい)。今回のコロナ対策事業では、一律10万円支給の特別定額給付金を別とすれば、ほとんどの支援事業が税負担においてサラリーマンより優遇されている個人の零細事業者(この中には、フリーランサーとして一括されているが、テレビ等で活躍のタレント等が含まれている)や元農家の不動産賃貸業者を対象とするものであり、結果として、納税の義務をきちんと果たしているサラリーマンのお金が納税段階でいろいろ節税(脱税?)できる富裕な人たちに流れるという、極めて不公平な構図が浮かび上がって来る。
負担についてのもう一つの問題は、国が必要としている財源14兆円のほとんどが国債の発行で調達されるということである。都道府県においても、各団体によって差異はあるが、おおむね経費の大部分は地方債で賄うことになる。これら国債、地方債は30~50年後の税金で償還されるわけであり、これも世代間を通じての大きな不公平を生み出すことになる。
政府および地方公共団体は、今回の新型コロナウィルスの災禍を収束させるため国民の税金を湯水のごとく使おうとしているが、筆者は、これら各種支援事業の実施に当たっては、慎重の上にも慎重にことを進めていく必要があり、間違っても現行の税制度に内在する歪みを更に酷くするようなことがあってはならないと考える。