「日本人の国民性調査(2013年)」の結果が10月30日、統計数理研究所から発表された。これによると「生まれかわりたい国」として「日本」と答えた人が83%、「よその国」と答えた人が13%であった。しかも、「日本」と答えた人の割合が5年前に行われた前回調査より6ポイントも増えたとのことである。
私は1938年生まれである。太平洋戦争が始まる3年前に生まれ、国民学校に入学して4カ月後に終戦を迎えた。私の幼少時代における将来の希望は船員になることであった。そうしたことを記入する欄には、常に「船員」と書いていた。
何故、船員なのか。今の若者には、いくら説明しても分かってもらえないと思う。私は子供の頃、日本人として生まれたことをこの上なく不幸と考えていた。敗戦国の国民として子供心に自分の不運を嘆いていたのである。
駐留米国兵士のエネルギッシュな立居振舞、彼等がくれるチューインガムの美味さ、彼等に群がりつく派手な格好の日本女性、善悪は別として、子供ではあっても羨望の的であった。
更に、先日まで頭を低くし、つくり笑いを絶やさなかった人達が、打って変わって自信たっぷりの態度で日本人の大人に接するようになった。彼等は、外国籍であることの特権を利用して得た生活の豊かさを、これ見よがしに誇示していた。警察官も彼等のすることには見て見ぬふりをした。
私は、このような状況の日本から脱出し、出来れば外国人になりたかったのである。しかし、敗戦国の国民が外国へ行くことなど、夢のまた夢であった。終戦から10年くらいの間は、いくら日本のお金を持っていても、海外へ出ることは不可能であった。日本円は外国では無価値であり、円でドルを買うこともできなかった。唯一、日本から海外へ出られるのは、船員になり、外国航路の船に乗ること、と子供の浅はかな知恵で考えていたのである。
私と同世代の日本人は、ほとんどが私同様、日本人であることを嘆き、願わくは日本以外の国民になることを希望していた。それが今は、8割を超える日本人が「生まれ変わるなら日本人」と答えており、まさに隔世の感がある。
統計数理研究所の専門家は、他の調査項目の結果をも踏まえて「東日本大震災時の秩序だった行動が国民意識に反映されていると考えられる。一方で、海外で深刻化した経済不況やテロなども国内に目を向けるきっかけになった可能性がある」と解説している。
このコメントはおおむね正しい。しかし、私は、終戦後の忌まわしい時代に育った人達の嫌日本的考え方から解き放された日本人が多くを占めるようになった結果であると考える。
戦後を経験した日本人は、日本および日本人の悪いところに意識が集中し、良いところを無視する傾向があった。日本的なものは常に悪く、非日本的なものは常に良いと考えたわけである。
今、こうした嫌日本的傾向を有する世代、そしてこうした世代に感化された世代の国民が第一線を退き、少数派になってきた。最近のテレビでも、いまだに嫌日本的な考えを得意そうに説く司会者がいるし、「友人の外国人がこう言っていた」とか、「外国人の見方はこうである」とかといった発言をする有識者もいるが、これらの発言に耳を傾ける視聴者が少なくなってきたのである。特に、最近の若者は、外国の情報に接する機会が豊かになり、かつ、実地に外国を経験することが普通のこととなったため、有識者の嫌日本的な見解を鵜呑みにすることがなくなってきた。
我々日本人は、ようやく世界の真実を知り、自らの立ち位置を正しく理解するようになった。こうした大きな社会のうねりについていけなくなった学識経験者、政治家、マスネディア等は、早急に社会の中心から退場すべきである。彼等が「従軍慰安婦」を生み、「南京大虐殺」を生み、「東南アジアの人々から毛嫌いされる日本人」を生んだ遠因でもあるからである。
私は1938年生まれである。太平洋戦争が始まる3年前に生まれ、国民学校に入学して4カ月後に終戦を迎えた。私の幼少時代における将来の希望は船員になることであった。そうしたことを記入する欄には、常に「船員」と書いていた。
何故、船員なのか。今の若者には、いくら説明しても分かってもらえないと思う。私は子供の頃、日本人として生まれたことをこの上なく不幸と考えていた。敗戦国の国民として子供心に自分の不運を嘆いていたのである。
駐留米国兵士のエネルギッシュな立居振舞、彼等がくれるチューインガムの美味さ、彼等に群がりつく派手な格好の日本女性、善悪は別として、子供ではあっても羨望の的であった。
更に、先日まで頭を低くし、つくり笑いを絶やさなかった人達が、打って変わって自信たっぷりの態度で日本人の大人に接するようになった。彼等は、外国籍であることの特権を利用して得た生活の豊かさを、これ見よがしに誇示していた。警察官も彼等のすることには見て見ぬふりをした。
私は、このような状況の日本から脱出し、出来れば外国人になりたかったのである。しかし、敗戦国の国民が外国へ行くことなど、夢のまた夢であった。終戦から10年くらいの間は、いくら日本のお金を持っていても、海外へ出ることは不可能であった。日本円は外国では無価値であり、円でドルを買うこともできなかった。唯一、日本から海外へ出られるのは、船員になり、外国航路の船に乗ること、と子供の浅はかな知恵で考えていたのである。
私と同世代の日本人は、ほとんどが私同様、日本人であることを嘆き、願わくは日本以外の国民になることを希望していた。それが今は、8割を超える日本人が「生まれ変わるなら日本人」と答えており、まさに隔世の感がある。
統計数理研究所の専門家は、他の調査項目の結果をも踏まえて「東日本大震災時の秩序だった行動が国民意識に反映されていると考えられる。一方で、海外で深刻化した経済不況やテロなども国内に目を向けるきっかけになった可能性がある」と解説している。
このコメントはおおむね正しい。しかし、私は、終戦後の忌まわしい時代に育った人達の嫌日本的考え方から解き放された日本人が多くを占めるようになった結果であると考える。
戦後を経験した日本人は、日本および日本人の悪いところに意識が集中し、良いところを無視する傾向があった。日本的なものは常に悪く、非日本的なものは常に良いと考えたわけである。
今、こうした嫌日本的傾向を有する世代、そしてこうした世代に感化された世代の国民が第一線を退き、少数派になってきた。最近のテレビでも、いまだに嫌日本的な考えを得意そうに説く司会者がいるし、「友人の外国人がこう言っていた」とか、「外国人の見方はこうである」とかといった発言をする有識者もいるが、これらの発言に耳を傾ける視聴者が少なくなってきたのである。特に、最近の若者は、外国の情報に接する機会が豊かになり、かつ、実地に外国を経験することが普通のこととなったため、有識者の嫌日本的な見解を鵜呑みにすることがなくなってきた。
我々日本人は、ようやく世界の真実を知り、自らの立ち位置を正しく理解するようになった。こうした大きな社会のうねりについていけなくなった学識経験者、政治家、マスネディア等は、早急に社会の中心から退場すべきである。彼等が「従軍慰安婦」を生み、「南京大虐殺」を生み、「東南アジアの人々から毛嫌いされる日本人」を生んだ遠因でもあるからである。
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