「雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている ・・・」
・・・宮沢賢治の有名な「11月3日」の詞だ。
小学校5年の頃に、これをクラス全員、暗唱させられた。
なんでこの詞を覚えさせられたのかは分からない。
教科書に載っていたんだったろうか。
とにかく、覚えさせられて、それが未だにほとんどそのまま覚えている。
「一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れず
よく見聞きし分かり そして忘れず」
続きもすらすらと出てくる。
不思議なものだ。
11月2日夜から3日未明にかけて、札幌の北24条では路面が凍結していた。
天気が良かったので路面は乾いていたが、水溜まりの水が硬く凍結していた。
北24条で飲んだ。
めずらしく、祝日が休みだったので、その前夜にいつもは休みが会わない人と飲もうってことで、高校の友達を誘った。
彼が住んでいるところから近いことと、かねてから北24条や琴似の歓楽街への進出を果たしたい我々の思惑が一致しての、今回の運びとなった。
「北24条」とは、 札幌の、北22条~北26条あたり(西2丁目付近)を中心とした歓楽街。
かつて市電の終点だったことから、商店街、歓楽街が形成された。
行ってみると、たしかに飲食店は並んでいるんだけど、じつに人の少ないこと。
かつての名残りで賑やかな感じを残してこそいるものの、実態としてはけっこう寂れているようだ。
市電が廃止されて地下鉄が走るようになってからもしばらくは、この「北24条」駅が終点だったらしいけど、ほどなくして「麻生」駅まで延伸。
もしかしたら、いまでは麻生のほうが栄えているかも知れない。
そういうわけで、祝日前という雰囲気のまるでない、ひっそりとした飲み屋街で、「笑笑」を出て、知らない店に飛び込んで、各々の家路へ就いた。
「笑笑」で、友達に勧められてホッピーとかいうわけのわからない酒を飲まされた。
「ビールの素」みたいな、苦さの濃縮された炭酸の液体と焼酎を割った酒。
ビールの美点である、のどごし感がなくて、苦味ばかりで味も好きじゃない。その上、焼酎が水で割るときよりも、活動的に脳を刺激してきた。
個人的には「悪い酒」だ。
いやな酒のまわり方がして、結局、二日酔いが夜の8時くらいまで続いた。
頭痛くて、二日酔いじゃなくて風邪ひいたかって思うほどだった。
8時までひたすら家で寝ていた。
(だから、いま全然眠くないorz)
そんな、寒空の北24条。ほろ苦いデビューとなった。
というか、北方面に住んでるやつがいて近いから、っていう今回のような例外的な理由がない限り、わざわざ繰り出す必要性は無いだろうな・・・
「そういうものに私はなりたい」と宮沢賢治が志した理想とは、当然だけどかけ離れた生活を送っている。
宮沢賢治という人は、37歳で亡くなったそうだ。
若くして亡くなったにも関わらず、100年後にも伝わる作品を多く残した。
そんな「文化の日」。
雪にも 夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている ・・・」
・・・宮沢賢治の有名な「11月3日」の詞だ。
小学校5年の頃に、これをクラス全員、暗唱させられた。
なんでこの詞を覚えさせられたのかは分からない。
教科書に載っていたんだったろうか。
とにかく、覚えさせられて、それが未だにほとんどそのまま覚えている。
「一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れず
よく見聞きし分かり そして忘れず」
続きもすらすらと出てくる。
不思議なものだ。
11月2日夜から3日未明にかけて、札幌の北24条では路面が凍結していた。
天気が良かったので路面は乾いていたが、水溜まりの水が硬く凍結していた。
北24条で飲んだ。
めずらしく、祝日が休みだったので、その前夜にいつもは休みが会わない人と飲もうってことで、高校の友達を誘った。
彼が住んでいるところから近いことと、かねてから北24条や琴似の歓楽街への進出を果たしたい我々の思惑が一致しての、今回の運びとなった。
「北24条」とは、 札幌の、北22条~北26条あたり(西2丁目付近)を中心とした歓楽街。
かつて市電の終点だったことから、商店街、歓楽街が形成された。
行ってみると、たしかに飲食店は並んでいるんだけど、じつに人の少ないこと。
かつての名残りで賑やかな感じを残してこそいるものの、実態としてはけっこう寂れているようだ。
市電が廃止されて地下鉄が走るようになってからもしばらくは、この「北24条」駅が終点だったらしいけど、ほどなくして「麻生」駅まで延伸。
もしかしたら、いまでは麻生のほうが栄えているかも知れない。
そういうわけで、祝日前という雰囲気のまるでない、ひっそりとした飲み屋街で、「笑笑」を出て、知らない店に飛び込んで、各々の家路へ就いた。
「笑笑」で、友達に勧められてホッピーとかいうわけのわからない酒を飲まされた。
「ビールの素」みたいな、苦さの濃縮された炭酸の液体と焼酎を割った酒。
ビールの美点である、のどごし感がなくて、苦味ばかりで味も好きじゃない。その上、焼酎が水で割るときよりも、活動的に脳を刺激してきた。
個人的には「悪い酒」だ。
いやな酒のまわり方がして、結局、二日酔いが夜の8時くらいまで続いた。
頭痛くて、二日酔いじゃなくて風邪ひいたかって思うほどだった。
8時までひたすら家で寝ていた。
(だから、いま全然眠くないorz)
そんな、寒空の北24条。ほろ苦いデビューとなった。
というか、北方面に住んでるやつがいて近いから、っていう今回のような例外的な理由がない限り、わざわざ繰り出す必要性は無いだろうな・・・
「そういうものに私はなりたい」と宮沢賢治が志した理想とは、当然だけどかけ離れた生活を送っている。
宮沢賢治という人は、37歳で亡くなったそうだ。
若くして亡くなったにも関わらず、100年後にも伝わる作品を多く残した。
そんな「文化の日」。
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