2001年ネパールで実際に起きた王宮事件を取り込んで描いたフィクション。2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年サガルにガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始しネパールの軍人の一人に接触することに成功。だがその軍人は殺害され、彼女がその死体を見つける。「この男は、わたしのために殺されたのか? あるいは・・・?」疑問と苦悩の果てに、太刀洗が辿り着いたのは痛切な真実だった。取材をすることの意味について考えるシーンが多い。自分の書く情報がとるに足りないものではないか、と思い悩むのだが、前に進むことにより答えを得ようとする。たとえつまらない記事でもその記事を書くことで完成・真実に近づくはずだという信念。
「お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死はとっておきのメインイベントというわけだ。」(P176)
「記事は派手にしようと思うところから腐っていくもんだ」「たったひとつの知識がものの見方を根底から覆し、別の知識が更なる修正を加えていく。やがて蓄積された知識は、お互いに矛盾しない。妥当だけれど思いがけないものの見方へと収束していく。このダイナミズムが好きだった。無邪気に知を楽しむうちに大人になった。」
「知は尊く、それを広く知らせることにも気高さは宿る。「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。意表を衝くようなものであれば、なお申し分ない。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ。」
「たちまちカトマンズの街へと消えていく背中に、わたしはありがとうと言いたかった。素敵なククリをありがとう。他のことにも。けれど彼は、そんな言葉は聞きたくないだろう。わたしはそういう世界に生きている。」(以上本部により)
ジャーナリズムや作者自身の職業である作家のあり方をミステリ・タッチで問いつづけた物語でしたが、登場人物が少なく犯人の検討は容易だった。
2015年7月東京創元社刊