毎度の事、素人が印象だけで好き勝手に語ってます。ふわっと読んでくださいね。
あと、いずれもマンガをちゃんと読んだのはおそらく20年以上前なので正確ではないところがあるかもしれません。ご了承ください。
萩尾先生はよく『少女マンガの神様』みたいに紹介されがちですが、私はあんまりこの方の作品少女マンガっぽくないよなぁって思ってます。
と言いますのはあんまり恋愛が出てこないので。出ても形だけ。読者サービスみたいというかそれ出しとかないと少女マンガの形にならないからみたいな。
この方の描きたいのはおそらくそこじゃないんだろうなと思いますね。
対比として分かりやすいですが、ベルばらが結局もう全部全部全っ部恋愛に帰結するのとはある意味対照的だ。
もちろん萩尾先生が技術的な面(コマ運びとか)、その他で後の少女マンガ界に多大な影響を与えたことは論を俟たないですが(今、《待たない》ではないと知って衝撃を受けてますがそれはともかく)。
個別に挙げていくとキリがないですが、例えば『トーマの心臓』('74)。
写真AC
ギムナジウムっぽい建物を探しましたが別にギムナジウムじゃないと思います。
私、他のところでもちょっと書いたのですが、当時で言う《や◎い》、今で言うびーえるですね。それって男性の体を借りて女の子にさせられないことをさせるための装置だと思っているのですが。
トーマの心臓の場合、むしろ性の匂いを消すために機能してるという気がする。びーえるには違いないのかもしれないけど恋愛ものとは思えない。
この辺は時代の空気とかもあるのかもしれないから何とも言えない。当時はや◎いと言えばああいうのが普通だったのか…?
『イグアナの娘』('92)。
母娘の対立とか娘が母親にかけられた呪いって、それこそシンデレラ、白雪姫の時代から定番というか、枚挙にいとまなく語られてるテーマだと思います。
昔話だとその呪いを解くのって結局王子さまなんですよ。良い悪いとか抜きにしてですよ。
イグアナ~だと、主人公と結ばれるのって どことなくルイ16世っぽい、家庭を大事にしてくれそうな男性ですが、少女マンガの主人公の相手役っぽくはないなぁ。あれは少女より上の年齢層をターゲットにしてるからもあると思いますが。
この件(くだり)に関しては、描きたいのは恋愛じゃなくて母親の下から少しでも早く離れたい娘心なんだろうなという気がしますね。
あと、『母→主人公→娘』っていう世代論を描きたかったので、極端な話、旦那さんのキャラは、それほど重要じゃないんだと思う。
呪いを解くのは原作では主人公が母親の死に向き合った時です。
ドラマ化されている作品ですが、そちらでは正に恋愛によって解放される展開になります。
次回、最終話。『イグアナの娘』、菅野美穂さん、川島なお美さん主演、ドラマ版の感想など。
27日、20時予約投稿済みです。
※注:次回の記事(その3&3.5)、カテゴリーが『マンガ、アニメ』から『家族について考える』に移動します。紛らわしくてすみません。