先月に遡りますが...
ふと手にしたパンフレットを元に西武鉄道が主催するウォーキングイベントに参加してきました
健康管理を兼ねて週末は長い距離を歩くようにしていますが、
やはり“歩く目的”を定めた方が歩が進むもの
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■近藤勇ゆかりの地と晩秋の深大寺を歩く!
*集合場所:西部多摩川線 多磨駅
*受付時間:9時~11時(雨天決行・荒天中止)
*参加費用:無料
*距離目安:約10km
*時間目安:約2時間
*主なルート:多磨駅→ 近藤勇生家跡→ 龍源寺→ 調布飛行場→ 深大寺→
味の素スタジアム前→ 旧陸軍白糸台掩体壕→ 白糸台駅
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東京にあって、この界隈はローカル路線の部類かもしれませんが、
自分の足で歩くことで見知らぬ魅力に出会うことができました。
スマホ撮影ですが、目に飛び込んできた景色を順に残しておきます
▲駅ロータリーで受付を済ませ、コースマップを取得
▲武蔵野森公園
▲人見街道を歩いて「近藤勇の生家跡」に到着
■近藤勇生家跡
1834年(天保5年)上石原村(現在の調布市野水)の宮川久次郎の三男として生まれた近藤勇。
生家である宮川家の屋敷は戦時中の1943年(昭和18年)に取り壊され、
現在は屋敷の東南隅に勇の産湯に使った井戸が残っており、生家跡を市史跡として保存しています。
生家跡の近くには勇の墓のある龍源寺があり、門前には勇の胸像があります。
(参考:調布市観光協会)
▲生家跡にある祠
▲近藤勇の胸像
▲近藤勇の墓所がある龍源寺
■人見街道
名称由来は武蔵七党の人見氏一族が来住していたという説と浅間山(人見山)が遠くまで見渡すのに適していたと言う説があります。
足利尊氏と新田氏の「人見ガ原の合戦」もこの地であったとのこと。(石碑より)
▲人見街道から外れて相曽浦橋から「野川(1級河川)」を望む
▲調布市に入って「調布航空宇宙センター飛行場分室」
▲ドルニエ機に乗ると調布から僅か30~40分で伊豆大島や新島・神津島へ
▲調布飛行場ターミナル 奥に管制塔
▲深大寺通り...深大寺と言えば“蕎麦処”とあって駐車場が一杯...
▲カエデが鮮やかに色付いていました
▲深大寺水車館
▲深大寺門前には“水木ワールド”を再現した「鬼太郎茶屋」
▲またの機会に寄ってみたいですね
■鬼太郎茶屋(コンセプト)
長い間日本人に親しまれて来た「ゲゲゲの鬼太郎」。
その作品の底に流れるテーマは「自然との共存」です。
人や妖怪だけでなく、鳥や動物や虫たち、地球上に住む すべての生き物との共存が表現されています。
そんな「水木ワールド」を水木氏の第二の故郷でもある都内でも有数な緑豊かな地域、
調布市「深大寺」門前に現致しました。
緑に囲まれた築40年余りの木造建築「鬼太郎茶屋」は訪れた皆様をきっと懐かしい世界に御案内し、
自然の素晴らしさを体感させてくれることでしょう。
▲門前のそば屋と湧水の小川で一休み
■深大寺の由来~縁結びの寺~
深大寺という名,水神の深沙大王に由来しており,奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山したといわれています。
深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると,満功上人の父福満とある豪族の美しい娘が恋に落ちましたが,
娘の両親の反対にあい二人は仲をさかれ,娘は湖の小島に隔離されてしまいました。
そこで,福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて行きました。
このことを知って娘の両親も二人の仲を許し,そして生まれたのが満功上人です。
上人は父の深沙大王を祀ってほしいという願いによって出家し法相宗を学び,733年に寺を建てました。
それが,深大寺であると縁起は伝えています。
深大寺赤駒、そんな「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語により,深大寺は縁結びの寺としても有名になっています。
(参考:調布市観光協会/谷玄昭「住職がつづるとっておき深大寺物語」)
▲混雑必至の「深大寺そば」は諦めて、こちらで昼食
▲蒸し立ての美味しさといったら、堪りません!
▲蕎麦パン(角煮・バーガー/明日葉入り)
▲パンの香りが独特で、具材と相まって旨し!でした
▲テレビで観かけて、どうしても食べたかった“蕎麦バーガー”
■深大寺そば その由来
江戸時代、深大寺周辺の土地が米の生産に向かないため、小作人はそばをつくり、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが深大寺そばの始まりと伝えられています。
深大寺そばが有名になったのは深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が深大寺そばを大変気に入り、まわりの人々をはじめ全国の諸大名にも深大寺そばのおいしさを言い広めたからのようです。
そのため、深大寺そばの名が高まり、多くの家から深大寺へそばの使者が立つほどになりましたので、深大寺そばは「献上そば」とも言われています。
また、別の説では徳川第三代将軍家光が鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたからだとも言われています。
(参考:調布市観光協会/調布市郷土博物館 テーマ展「深大寺そば」より)
▲同じエリアにある都内唯一の都立植物園「神代植物園」
▲トイレ休憩
▲この日一番の絶景でしょうか
▲この付近は深大寺城跡と秋に咲く“そばの花”、そば畑が広がっています
▲中央自動車道を潜って再び野川を望む
▲佐須街道を進んで浄水場へ
▲甲州街道をひたすら進んで「味の素スタジアム」を横目に
▲甲州街道には「東京オリンピックのマラソン折り返し点」があります
▲街道を外れて高架を潜って「白糸台掩体壕」へ
■旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
京王線武蔵野台駅の北、徒歩5分。甲州街道の脇にある。
掩体壕(えんたいごう)とは戦闘機を敵の攻撃から守るための格納庫のような施設で、第二次世界大戦の際に「飛燕」などの戦闘機が配備された調布飛行場の周辺には約130とも言われる掩体壕が造られた。
そのほとんどは戦後取り壊されたが、この掩体壕は残っているもののひとつ。
府中市では平和都市宣言20周年を機に戦争の遺跡を歴史的遺産として保存することを決定して保存修理工事を行い、
平成24年(2012年)に一般公開した。
掩体壕は間口・奥行・高さともそれほどの規模ではなく、当時の戦闘機の大きさを想像することができる。
貴重な遺産として府中市の史跡に指定されている。
▲西部多摩川線沿いを進んでゴールの白糸台駅へ
以前「大江戸線一周30kmウォーキング」に参加したとあって、
9kmなら何とかなるだろう...がそもそもの発端でした。
たかが9km、されど9km...何とか完歩することができました。
万が一の移動手段にタクシーと電車しか選択肢がないのは、大人として無様ですから
いつ何時でも“テクシー(歩き)”が使えるよう無理のない程度に鍛えて起きたいです
因みにゴールすると、専用のカードに参加ポイントとして50ポイントが加算されます。
1000ポイント貯めると、SuicaかPASUMOに1000円分としてチャージできます。
先は長いです...
(つづく)
【過去の記事より...かれこれ3年前ですが[大江戸線一周30kmウォーキング 完歩!]】
ふと手にしたパンフレットを元に西武鉄道が主催するウォーキングイベントに参加してきました
健康管理を兼ねて週末は長い距離を歩くようにしていますが、
やはり“歩く目的”を定めた方が歩が進むもの
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■近藤勇ゆかりの地と晩秋の深大寺を歩く!
*集合場所:西部多摩川線 多磨駅
*受付時間:9時~11時(雨天決行・荒天中止)
*参加費用:無料
*距離目安:約10km
*時間目安:約2時間
*主なルート:多磨駅→ 近藤勇生家跡→ 龍源寺→ 調布飛行場→ 深大寺→
味の素スタジアム前→ 旧陸軍白糸台掩体壕→ 白糸台駅
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東京にあって、この界隈はローカル路線の部類かもしれませんが、
自分の足で歩くことで見知らぬ魅力に出会うことができました。
スマホ撮影ですが、目に飛び込んできた景色を順に残しておきます
▲駅ロータリーで受付を済ませ、コースマップを取得
▲武蔵野森公園
▲人見街道を歩いて「近藤勇の生家跡」に到着
■近藤勇生家跡
1834年(天保5年)上石原村(現在の調布市野水)の宮川久次郎の三男として生まれた近藤勇。
生家である宮川家の屋敷は戦時中の1943年(昭和18年)に取り壊され、
現在は屋敷の東南隅に勇の産湯に使った井戸が残っており、生家跡を市史跡として保存しています。
生家跡の近くには勇の墓のある龍源寺があり、門前には勇の胸像があります。
(参考:調布市観光協会)
▲生家跡にある祠
▲近藤勇の胸像
▲近藤勇の墓所がある龍源寺
■人見街道
名称由来は武蔵七党の人見氏一族が来住していたという説と浅間山(人見山)が遠くまで見渡すのに適していたと言う説があります。
足利尊氏と新田氏の「人見ガ原の合戦」もこの地であったとのこと。(石碑より)
▲人見街道から外れて相曽浦橋から「野川(1級河川)」を望む
▲調布市に入って「調布航空宇宙センター飛行場分室」
▲ドルニエ機に乗ると調布から僅か30~40分で伊豆大島や新島・神津島へ
▲調布飛行場ターミナル 奥に管制塔
▲深大寺通り...深大寺と言えば“蕎麦処”とあって駐車場が一杯...
▲カエデが鮮やかに色付いていました
▲深大寺水車館
▲深大寺門前には“水木ワールド”を再現した「鬼太郎茶屋」
▲またの機会に寄ってみたいですね
■鬼太郎茶屋(コンセプト)
長い間日本人に親しまれて来た「ゲゲゲの鬼太郎」。
その作品の底に流れるテーマは「自然との共存」です。
人や妖怪だけでなく、鳥や動物や虫たち、地球上に住む すべての生き物との共存が表現されています。
そんな「水木ワールド」を水木氏の第二の故郷でもある都内でも有数な緑豊かな地域、
調布市「深大寺」門前に現致しました。
緑に囲まれた築40年余りの木造建築「鬼太郎茶屋」は訪れた皆様をきっと懐かしい世界に御案内し、
自然の素晴らしさを体感させてくれることでしょう。
▲門前のそば屋と湧水の小川で一休み
■深大寺の由来~縁結びの寺~
深大寺という名,水神の深沙大王に由来しており,奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山したといわれています。
深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると,満功上人の父福満とある豪族の美しい娘が恋に落ちましたが,
娘の両親の反対にあい二人は仲をさかれ,娘は湖の小島に隔離されてしまいました。
そこで,福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて行きました。
このことを知って娘の両親も二人の仲を許し,そして生まれたのが満功上人です。
上人は父の深沙大王を祀ってほしいという願いによって出家し法相宗を学び,733年に寺を建てました。
それが,深大寺であると縁起は伝えています。
深大寺赤駒、そんな「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語により,深大寺は縁結びの寺としても有名になっています。
(参考:調布市観光協会/谷玄昭「住職がつづるとっておき深大寺物語」)
▲混雑必至の「深大寺そば」は諦めて、こちらで昼食
▲蒸し立ての美味しさといったら、堪りません!
▲蕎麦パン(角煮・バーガー/明日葉入り)
▲パンの香りが独特で、具材と相まって旨し!でした
▲テレビで観かけて、どうしても食べたかった“蕎麦バーガー”
■深大寺そば その由来
江戸時代、深大寺周辺の土地が米の生産に向かないため、小作人はそばをつくり、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが深大寺そばの始まりと伝えられています。
深大寺そばが有名になったのは深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が深大寺そばを大変気に入り、まわりの人々をはじめ全国の諸大名にも深大寺そばのおいしさを言い広めたからのようです。
そのため、深大寺そばの名が高まり、多くの家から深大寺へそばの使者が立つほどになりましたので、深大寺そばは「献上そば」とも言われています。
また、別の説では徳川第三代将軍家光が鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたからだとも言われています。
(参考:調布市観光協会/調布市郷土博物館 テーマ展「深大寺そば」より)
▲同じエリアにある都内唯一の都立植物園「神代植物園」
▲トイレ休憩
▲この日一番の絶景でしょうか
▲この付近は深大寺城跡と秋に咲く“そばの花”、そば畑が広がっています
▲中央自動車道を潜って再び野川を望む
▲佐須街道を進んで浄水場へ
▲甲州街道をひたすら進んで「味の素スタジアム」を横目に
▲甲州街道には「東京オリンピックのマラソン折り返し点」があります
▲街道を外れて高架を潜って「白糸台掩体壕」へ
■旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
京王線武蔵野台駅の北、徒歩5分。甲州街道の脇にある。
掩体壕(えんたいごう)とは戦闘機を敵の攻撃から守るための格納庫のような施設で、第二次世界大戦の際に「飛燕」などの戦闘機が配備された調布飛行場の周辺には約130とも言われる掩体壕が造られた。
そのほとんどは戦後取り壊されたが、この掩体壕は残っているもののひとつ。
府中市では平和都市宣言20周年を機に戦争の遺跡を歴史的遺産として保存することを決定して保存修理工事を行い、
平成24年(2012年)に一般公開した。
掩体壕は間口・奥行・高さともそれほどの規模ではなく、当時の戦闘機の大きさを想像することができる。
貴重な遺産として府中市の史跡に指定されている。
▲西部多摩川線沿いを進んでゴールの白糸台駅へ
以前「大江戸線一周30kmウォーキング」に参加したとあって、
9kmなら何とかなるだろう...がそもそもの発端でした。
たかが9km、されど9km...何とか完歩することができました。
万が一の移動手段にタクシーと電車しか選択肢がないのは、大人として無様ですから
いつ何時でも“テクシー(歩き)”が使えるよう無理のない程度に鍛えて起きたいです
因みにゴールすると、専用のカードに参加ポイントとして50ポイントが加算されます。
1000ポイント貯めると、SuicaかPASUMOに1000円分としてチャージできます。
先は長いです...
(つづく)
【過去の記事より...かれこれ3年前ですが[大江戸線一周30kmウォーキング 完歩!]】