2023年も残りわずか
掃除に片付け、
正月料理の買い出しと準備をしているだけで淡々と過ぎ去っていく年の瀬です
来年はもっと…
と気持ちが一層募って、迎える新年の初詣は心機一転、1年の無事と平安を祈願しに神社を訪れたいところ、
人出が集中する正月三箇日は避けたいもので、今年も早々と幸先詣に出掛けたのは今月上旬のこと
長らく歩いて辿り着いたのは千葉県は千葉市花見川区に鎮座する検見川神社
切妻を目指して石段を登り切った高台、当時は海に接していたそうです。
正面には立派な拝殿が鎮座⛩
・中神殿:素盞嗚尊(すさのおのみこと)
・東神殿:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
・西神殿:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
この三柱の神を総称して『神祇三社検見川神社』と尊称されます。
・八方除
・開運招福
・商売繁盛
・病気平癒
・交通安全絵馬
■検見川神社 ご由緒
当時は、人臣として初めての摂政である藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を掌握し、養子基経と共に摂関政治を藤原氏が確立した時代であります。
この天皇の御宇貞観11年(869年)全国に流行した疫病を鎮めるため、その消除を全国規模で祈りました。その時、下総国(現在の千葉県)で 素盞嗚尊 (すさのおのみこと)が祀られ、災厄消除を祈った場が当地(嵯峨という地名を持つ)であったのです。古来より国家単位の災いをも取り除くほどの神威の轟きます地なのです。
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)は、平安時代後期藤原氏の勢力が衰微し、天皇が院庁に入って政治をみる所謂院政期に祀られ始めました。
第74代鳥羽法皇の院政期、第76代近衛天皇の御宇久寿2年(1155年)、勅命により平良文(将門の叔父)の流れを汲む千葉氏庶流で鎌倉初代将軍源頼朝配下として活躍する上総介廣常・金田小太夫頼次兄弟並びに頼次縁者三浦義澄等が、下野国(現在の栃木県)奈須原に於いて妖狐九尾の狐を退治した事件がありました。その内の一人頼次は、九尾の狐の霊威を畏み、崇敬していた宇迦之御魂神を祀りました。
その後金田氏は、執権北条氏、足利将軍家、又、松平清康(徳川家康の祖父)、宏忠(家康父)と代々有力支族及び徳川恩顧の家臣として仕え栄えることになります。
そして頼次の20世の孫である金田銀太夫正明が検見川の地を領有した時代、第108代後水尾天皇の御宇元和2年(1616年)検見川大明神の御神域に宇迦之御魂神を御奉賽し、現在に到っています。
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)は、室町3代将軍足利義満が南北朝を統一せしめた時代第百代後小松天皇の御宇応永16年(1409年)以来嵯峨の地に祀られていました神様であります。尊は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と共に我が国の母神であり御神徳の高い神として人々に敬われています。江戸時代になり、金田正明が日頃崇敬していたこの神を寛永年間(1624~1644年・第3代将軍徳川家光治政下)に現在地に遷し、祭祀を営んだのが最初とされています。
このように、古来より民衆は勿論有力武将の崇敬も厚いいともかしこき神を祀る神社として、その御神徳を高揚してきたのであります。
この三柱の神の鎮まります社を「神祇三社検見川神社」と尊称し、今日に至っているのであります。
(公式HPより)
<境内、ほぼ貸切状態で飲む甘酒は格別>
酒まんじゅうが蒸しあがりました!
の声に案内されるままに、境内の「うたせ茶屋」で一休み
<境内には梟の置物が其処彼処に鎮座>
駅近の住宅街にあって
高台は周囲を木々で囲まれ、落ち着いた神聖な雰囲気の中、
「行く年」を振り返り、「新年」の家内安全や無病息災を願ったであろう一足早く参拝する方や七五三の撮影御一行の姿が印象的でした
帰る道中、美味しい
手打ちうどんを食べたのですが...
それはまた年明けにでも書き留められたらと思います
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