ウンベルト・エーコが死去した。享年84。
エーコは記号論を専門とする哲学者であると同時に、世界的なベストセラーとなった『薔薇の名前』などの作品を著した小説家でもある。
『薔薇の名前』は中世北イタリアの、巨大な図書館を擁する修道院を舞台に、そこで起こる不可解な連続殺人事件をイングランドから訪れた修道士が解決するミステリ仕立ての物語だが、そこにはキリスト教の黎明期にあってさまざまな教団が、その教義の正当性を巡って命がけの宗論を繰り広げていた時代背景があった。
『薔薇の名前』はジャン―ジャック・アノー監督、ショーン・コネリー主演で映画化もされたこともあって、一般には「ウンベルト・エーコと言えば『薔薇の名前』」ということになるが、私はむしろ『フーコーの振り子』こそ読んでほしい。特にこのブログの読者ならば。
『フーコーの振り子』は現代のヨーロッパにテンプル騎士団が甦るという話で、オカルトと陰謀史観に満ちあふれた作品だ。日本語版では上・下2巻で出ている。
物語は「追われている。殺されるかもしれない。そうだ、テンプル騎士団だ」と書かれた原稿がミラノの出版社に持ち込まれたところから始まる。そして、その原稿によって3人の編集者たちは中世、錬金術の時代へと引き寄せられていくのだが、そこで語られるのは、中世からのヨーロッパの怪しげな秘密結社、特に十字軍に参加したテンプル騎士団、薔薇十字、フリーメーソンなど。そこに魔術、錬金術、降霊術、占星術、歴史、数学、物理学、医学、化学などがないまぜになった話が延々と続いていく。それが上巻で、物語そのものは全く進まない。
だからここでハッキリ言っておくが、(とにかくこうしたオカルティックな話題に死ぬほど興味のある人以外は)上巻は死にそうなほどつまらない。だがここで本を投げ出してはいけない。のど元過ぎれば…じゃないけど、ここを通り過ぎれば、話が動き始める上巻の最後からはもう一気だ。もちろん、上巻の大半をかけてインプットされた知識がそこで生きてくる。
けれども、『フーコーの振り子』はオカルトを題材にした単なるサスペンスではないし、物語に彩りを添えるためのギミックとしてオカルトが使われているわけでもない。むしろ『フーコーの振り子』とはオカルト/オカルティズムこそが主人公の話なのだ。そして、その物語の辿り着く果ては、あなたの想像を超えたものだろう。特にあなたが真性の「オカルト大好き不思議ちゃん」なら、なおさらだ。
私もまた「オカルト大好き不思議ちゃん」という人間だった(というか今もその気が抜けてはいない)が、『フーコーの振り子』を読む前と後では明らかに世の中が違って見えた。京極夏彦の〈百鬼夜行シリーズ〉に出てくる京極堂、中善寺秋彦の言葉を借りれば──そう、憑き物落とし。この作品はそれ自体が「憑き物落とし」のための装置になっているのだ。私が上で「『フーコーの振り子』こそ読んでほしい」と書いたのは、まさにそういう理由による。
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